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that's what friends are for

8月29日(火)

ゲイパレードに関しては色々反響を頂いてます。
賛同する方もいれば、でもやっぱりなかなか好きになれないんだよね、という方もいますね。そっかー、やはり結構難しい問題なんだねぇ、という感じです。差別や偏見はヘテロがゲイに対して持っているものかと思っていたら、なんとゲイの中にも有るんだという事なんですね。

でね、俺自身「ゲイパレードの明るさ」に違和感を覚えていたりしたわけで、「ああいうの嫌い!」っていう人の感覚は良く解るんですよね。
で、この場合のパターンとしてはいくつか有るようです。
ちょっと乱暴な言い方をしてしまうと、
「男は男らしく!男一匹、俺は徒党を組んで自分が弱い事をアピールするなんて嫌いだ」系とか、「女同士の同性嫌悪」系、とかみたいな感じがします。もっと他にも有るんでしょうけど。(ジェンダー関連の事を考える時、「男は男らしく」というのは非常に色々問題が有る言葉なんですけど)
こういう感覚は人それぞれで、何かを説明する時にもそれぞれの感覚によって言い方も違って来ると思うんですが、「男らしく!」系の方に今の俺の気持ちを説明するとしたら、
「男は男らしく人のやってる事をうじうじ批判なんかすんなよ。人が一生懸命やってるんだから、同じゲイなんだし、そうか頑張れよって男気出して言ってやったらいいじゃんか。公正さや正義感こそ男の価値じゃんかよ。」
、、、みたいな感じでしょうか。
んで、例えばこの言葉をパレードの当事者が聞いたら、非常におもしろくないと思うんですよね。これは当然ですね。

という様な事を考えて見ると、ますます「好きじゃない」気持ちが「嫌い」に変換され、さらに否定へ発展してしまう心の動きが一番の根っこだという気がしてきます。
「好きじゃな」くても、それぞれ違うんだからまあいいじゃないのって思えないんでしょうか、、、、、。
「広い心」ってやつは、どうしたら持てるんでしょうね。
それすらも、それぞれの感覚によって違って来る様な気がするので、人間は絶対に「みんな仲良く」なんて事は出来ない生き物なんだな、と随分悲観的な気持ちになってしまう一方で、実はもっと事は単純の様な気もします。
「知る」事や「触れてみる」というだけで、あっけなく氷解してしまう様な気がするからです。
「ホモが嫌い」な石原さんが、「嫌いだけど、否定までしちゃあマズイよな」と考えて気持ち悪いのをガマンしてゲイパレードに参加して、参加して一緒に歩いてみたら、なんだかわからんけど、ずっと気持ちが楽になったし、ちょっと優しくなれた、というストーリーをリポートに書いたんですが、俺自身がそんな感じだったわけです。パレードをする人達は、嫌いなら参加しないでくれって思うでしょうけど、それもまた「違い」を「嫌い」にしてしまう感覚だと思うんで、一線を越えるまではお互い少しのガマンも必要ですね。

否定まではしないけど、どうも好きになれないんだよねという方がたくさんいらっしゃるみたいなんで、今度パレードが有ったら行ってみたらどうでしょう。(人から言われるとやりたくなくなるって人も結構多いんだな、これがまた(^^;)


8月28日(月)

 今年の夏はバテバテになってしまって、食欲も無いし、胃は悪いし、という事で、流動食でも飲むかなと思って特製ジュース作ったりなどしています。
トレーニング頑張ってた時にいつも、プロテイン飲む時にミキサーでいろんなもの混ぜて飲んでたんで、それを作って飲んだりしています。
もっと強力なジュースは無いもんかと思って、GOATさんとこの掲示板(蒟蒻問答)で尋ねたら、素晴らしいジュースを紹介されました。是非読んで見て下さい。
 でもまだ鍋が無いもので作ってないんですけどね、、。

ここに書いても誰も知らない話題をひとつ。
OKIDOKIで9月から白人先生とふじもとくんの新番組が始まるそうだ。
楽しみだな〜いや。

コーラって最近みんなあまり飲まないんだけど、俺はピザを食う時はどうしてもコーラが良かったりします。
んで今、コーラを買う時はペプシ買うんですよ。ペプシマンのオマケがついてるから(^^;

「かわいひでとしホームページ」に「今日のたまご」っていう連載が有るんだけど、誰か見ているでしょうか。最初の種が上手く発芽しなくて失敗したんだけど、2度目は順調に育っています。このへんで肥料とかあげたほうがいいんだろうか、、、。

今読み始めた本。伏見憲明「性の倫理学」読み終わったらまた何か書きますね。

ゲイパレードを見に行くまでのプロセスで、とても重要な謎に気が付いた。なぜ人は好きじゃないと嫌いになってしまうのか、タイプな人に痴漢されたら、実はまんざらでもなかったりするのに、なぜタイプじゃない人に痴漢されたら激怒するのか。この心の動きを研究してみないと、、、。

今年もあと4ヶ月っす。
んで、ずっと先の事だと思っていたオリンピックが、もうすぐそこまで来てるんだね。サッカーが楽しみ&負けた時の周りの反応が恐い、、、、。

江戸東京博物館から、申し込んであった「古文書講座」の参加証が届いた。難しくて居眠りしそうだにゃ〜、、、。

8月25日(金)

ホモのホモフォビアは自己否定だろうか。
「ホモのホモ嫌い」という言い方が有るそうですが、その言葉を何かで読んだ時に、ああ、これって俺のことかも、って思いました。
オトコの格好をしているのにおねぇ言葉を話すのは嫌い、どうしてゲイの人は宝塚が好きだったり、どちらかというと女性が好みそうな事が好きな人が多いんだろ、などなど自分の中には結構たくさんの偏見が有って、そのへんがホモ嫌いの理由になっている様な気がする。ゲイパレードの明るさに違和感を覚えるのもこの辺が理由なんだろうな、、。「なんでゲイの人権をアピールするのに女装しなきゃなんないの?」と思ってしまうわけ。
 それでまあ、これは偏見だと思ってるんで、ただ思っているというだけでとりたてて主張したいわけでもないんだけれど。
というのは、そもそも「ゲイ」という括り自体にあまり意味が無かったりするんでしょうね。「生き物」という言葉みたいに、ただ漠然としたひとかたまりを差す言葉でしかなくて、「生き物」には水の中を泳ぐ奴もいれば土から生えている奴もいれば、走り回る奴もいるわけで、「ゲイ」の中にも天と地ほど違ういろんな奴がいるわけですよね。

 だから俺はゲイパレードで女装したりするのが好きじゃなくても良いわけで、あのパレードじゃあ、あんまり参加したいと思わねぇなぁって思ってもいいわけですね。服の趣味が違うのと同じようなことでしかない事であって、好きじゃないからって、嫌いになる事はないわけですよね。これは俺の偏見だから、他人が好きな服に文句つける事はねーよな、って思えば済む事ですね。

 でも、天と地ほど違う色々なゲイ達に共通しているのは同性が好きっていう事なんで、例えば同性の夫婦を法的に認めて貰って云々などの事は一緒にアピール出来るハズなんだね。
 そのへんの事をいままで活動して来てくれたり、HIVなどの啓蒙活動をして来てくれたりしたのも「明るいゲイ達」だったわけで、その辺は素直に感謝しないといけないですよね。感謝するなら俺も何か手伝わないといけないね。今年のゲイパレードは政治的なアピールは無しでフェスティバルとの事なんで、見学だけ行こうかと思います。なにしろ一度も見た事が無いもので、、。
何か政治的なアピールなどする運動などが有った時には俺も出来る事を手伝う様にしようと思います。

とにかく俺は何か考えると必ず「人それぞれだから」って結論になるんですが、自分と違う価値観は違うだけであって、否定するべきものじゃないんであって、男と男がセックスしようが、ウンコ食べようが、女装しようが、男ぶろうが、健常者だろうが障害者だろうが、売ろうが売るまいが、首を絞めようが、競パン履こうが、男だろうが女だろうが、み〜んな同列に並んでいる人それぞれの特徴の違いでしかないんですよね。
こうやって考えればケンカする理由も差別する理由も無いと思うんだけどねー。

そんな訳で、8月27日は今まで無関心、無知だった反省と、先人への感謝と敬意という意味で代々木へ行ってみます。
当日は朝から午後2時までハッテンバでバイトが有るんで、眠くて暑くてボケボケになってそうだけどね。

8月22日(火)

 俺がインターネットをする様になって一番強く感じたのは、「地方に住んでいる方たちの不自由さ」でした。「いいカラダになりたい」「じゃあ、ジム行って頑張りなよ」「でも、近くにジムが無い」と言うような会話をチャットなどでたくさんした覚えが有ります。「東京は遊ぶところが有ってうらやましい」「でも、そっちにもお店とかは無くても、公園かどこか、仲間が集まるハッテンバの様な所は無いの?」「有るけど、遠いし、近所の目も有るし」という様な会話も随分しましたね、、、。
 そんな訳で、「地方の方は大変だなぁ」と、自分なりに思ったんですね。
でもこれは俺なんかが「大変だなぁ」なんて思うよりずっと、ホントに大変なんだろうと思います。
 カミングアウトなんていう事が言われているけれど、とてもじゃないけどカミングアウトなんて出来ないと思う方は非常にたくさんいらっしゃると思います。結婚したくないけど、親や親戚、近所から結婚はまだかと言われて辛い思いをしている方も非常にたくさんいらっしゃると思います。
そういう方達に「殻を破って自分が自分で有る事を実感して生きようよ!」とか「ゲイである事はちっとも恥ずかしい事じゃない、誇りを持とうよ!」って言っても酷なんじゃないかという気が強くするんですよね、、、、、。
 振り返って考えてみれば、こうやって東京に住んでおねぇぶっこいて楽しんでいる今だから言えるけど、そうだろうな、なかなか「殻を破る」なんて言ったって難しいんだよな、と、同意してくださる方もいらっしゃると思うんですが、どうでしょう。
「もっと勇気を持とうよ!」という声をかけてあげるのも、大都市に住む者の感覚でしかないのではなかろうか、という気がしてしまうのです。

ゲイに限らず、「セックス」という事で考えてもそうだと思うんです。性欲が溜まってしまってたまらなくなって、わざわざ遠くの町まで行って風俗店に忍者のごとく入って、射精したら逃げるように帰るという事をなさっている方も随分いらっしゃるんじゃないでしょうか、、。

水泳の達者な人が泳げない人に、「大丈夫、人間のカラダは水に浮くから勇気を出して入っておいで」「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」なんて言うのと似ている様な気がするなぁ。
泳げない当人にとっては、こんな恐い思いするなら一生泳げなくてもいい、そのほうがまだ楽だ、って思えるんだろうなぁ。

さて、
もうすぐゲイパレードが有るそうです。
ゲイの存在をアピールし続けて来てくれた人達に感謝はしつつも、応援の声すら出すことが出来ずにいる人達もたくさんいるのですよね。
活動する人達にとっては「陰ながら応援する」という言葉は冷たく響く事でしょう。でも、どうしても殻を破れず沈黙し続ける人達の身になってみると、仕方がないと思うんですよね、、、、。

さて、、、、、。
以上の様な事を思った俺は一体どうすればいいんでしょう。

今まで全く「ゲイの人権」といった関係の事に関心を持った事が無かったもので、その関係の事には全く無知な俺です。
さらにゲイパレードの「明るさ」に違和感を持ってしまったりする俺です。
でも、先人達に敬意と感謝を込めて、今年は参加してみようかな、なんてふと思ったりもする俺なのでした。

、、、、、、、とりあえず。
ふと思いついたんですが、俺はいつもいつも思いつきをそのままやってしまう困ったクセが有るんですが、沈黙するゲイの方達と、明るくアピールするゲイの方達との架け橋みたいな事をふと思いついたんですが、、、。

「先頭を走って下さったたくさんの方々や、今こうして頑張ってくれているたくさんの方々に、敬意と感謝を込めて、沈黙するゲイ達が陰ながら応援する声」というのを設置しました。

さて、俺はパレードに行こうか、どうしようか、、、。
考え中。

8月21日(日)

 窓を開け放していると蚊が入ってくる。
どうして6階に蚊が入ってくるのか、理由を誰かに聞いたが忘れてしまった。
誰か教えて。
蚊に言いたいのは、血ぃくらい吸ってもええから、かゆくしないで欲しいって事。蚊に刺されたかゆみは、ほんとにたまらんもんがある。
 網戸を閉めて電気蚊取りのスイッチを入れた。俺はこの電気蚊取りが苦手だ。頭痛がしてくるのだ。しかし、この蚊が死ぬまでガマンしなければならない。人間の俺がこんなに頭痛がする位だから、蚊などとっくにくたばっていても良さそうなものだが、まだくたばらないらしい。
俺が先にくたばるか、蚊がくたばるか、、、。
あ〜、頭が痛い。

8月19日(金)

 今年の夏は運動不足のせいか、バテてしまって毎日体調悪い、、、。
今日は夕方おしごとをした後、窓を開け放してぐっすり寝てしまった。
ほんとに立秋を過ぎると夜は涼しいんだね、、、。

 今日は彼氏との事で色々悩んでいるSさんが来てくれた。部屋に来るなりすぐ「お話タイム」になってしまって、その後の事を色々聞いたのだけれど、なかなか難しいものですねぇ、人間と付き合うというのは、、。Sさんは彼氏にベタ惚れしちゃっていて、エッチもたくさんしたいのに、彼氏がプラトニックだったりする悩みを持っている人です。「んで、今日はなにしに来たん?」「一応、お客で来た」「あ、そっか」(^^;なんてことで、その後予約が入っていたもので時間ぎりぎりまでコスプレやって、Sさんが帰る時、次のお客さんとエレベーターですれ違ってました(^^;
そのあと再びSさんから電話が有って、まだ五反田にいるとのことで、一緒にラーメン食いに行ってから、大崎橋の上でまたお話タイムをしました。

 友達に恋愛の事で相談を受けたりする事って、この歳になるともう殆ど無いので、こんな時間を持てる事をちょっと幸せに感じたりするのでした。
夕暮れに街の明かりが灯って、橋の上で秋風に吹かれて、なんだか静かな気持ちになりました。静かで優しい気持ちになると、街の明かりが綺麗に見えるものなんだと思いながら、「今日は彼が帰ってくる前に行って洗濯しといてやる」と言っていたSさんの乗った山の手線のテールランプを見送ったのでした。

8月16日(水)

昨日、大阪から、ひでとし掲示板にカキコしてくれたGOATさんが、相方さんと一緒にアキラさんちに遊びに来ているということで俺もお邪魔させて貰いました。
GOATさんって、とーーーーってもよい子! オススメ!(^^;
マジ、素晴らしい人ですよ。どのように素晴らしいか確かめたい人は買ってみて下さい((((((^^;
そんなわけで、めちゃめちゃ楽しい夜になりまして、結局朝、バイトに行く時間まで居座ってしまって、フラフラになりながらバイトに行ったのでした。
 アキラさんご夫婦の手作り料理もとってもyummy yummyでちた〜。
幸せなカップルを二組鑑賞させて貰って、とても幸せな夜でしたねぇ。

やっぱりHPやってて一番楽しいのは、こうやってお友達が出来たり、こういうネットワークが出来ていく事ですね。

GOATさんと相方さん、アキラさんご夫婦、それに長谷川さん、楽しいかったです。どうもありがとうございました。

8月11日(金)

イギリスで児童性愛者の氏名を新聞が公表して、公表された人の家に投石や放火が行われ、自殺者も出たという話、なんだか嫌ですねぇ。
セックスというのは、お互いの合意の上でする事であって、そうでない場合は暴力になるんだし、だからこそ子供への性的な行為は犯罪としてとがめられるという事には賛成するけれど、でも、そういう性癖を持っている人が気の毒になってしまって、なんだかとても嫌です。
今日の朝日新聞の天声人語では、横山ノックさんへの執行猶予は軽すぎるという事が書かれていました。ノックさんのした事は犯罪でしょうし、公的立場にいたという事情が有るのだけれど、これもなんだか嫌でした。
人の失敗をどうしてそんなに強気で責め立てる気になれるんだろうと思ってしまいます。ちゃんと裁判したんだったら裁判にまかせておいたらいいんじゃないかと思いますよ、、、、。

セックスに関する犯罪を犯した人対しては、何故か強気で批判する事が多い様な気がするのは気のせいだろうか。
そういえば、オウムの信者に対してもそんな感じを受ける事が多かったこの頃です。オウムで犯罪を犯した人にはちゃんと裁判が行われているのに、裁判にかけられていない信者にも全部、それも小学生の子供まで一緒にして「オウムは出て行け」なんて言っているのを見ていると、とても嫌な気分になります。

ノックさんの場合、「いい年をして」とか「府知事という立場に有るものが」という事を理由にして強気で批判している様な気がします。
いい年をしたおじさんがエッチが好きで脂ぎっていたら、それは恥ずかしい事なんだろうか、いい年をしてセックスが強かったり好きだったりしたら、それは恥ずかしい事なんだろうか、反社会的な事なんだろうか、、。
ロリコン趣味は恥ずかしい事なんだろうか、、。

その人の性癖がどうあれ、実際に犯罪を犯した人は裁かれるべきだけれど、性癖がそうだというだけで批判される筋合いは無いし、実際に犯罪を犯して裁判が行われている人への偏見を含んだ批判をするべきではありませんよね。
ノックさんやオウムに対する報道を見ていると、偏見が基になっている暴力がちらほら見受けられる様な気がするなぁ、、。

というか、俺は人の失敗をそんなに強く批判出来る人の気が知れない。

8月3日(木)

今日は朝のバイトが終わった後、江戸東京博物館へ行ってきました。

むかし、横浜で「人体の不思議展」へ行った時、人間の標本を見ていたら、同じものを見ている超いけてる兄ちゃんがいてね、501の履き方がかっちょよくてさ、なんとなく並んで標本を見ていたんだけど、横目で伺うと目が合っちゃったりなんかして、すげーーーミョ〜なフンイキになった事が有りましたっけ。あんときのにいちゃーーーん!、これ読んだらメールくれ(^^;
 んで、ですね、江戸東京博物館へ行きました。
あちゃー、またいたよぉ、イケテルのがぁ、、、。
くっそー彼女と一緒でやんの、、、、。

で、俺は何しに行ったかというと、マジに展示物を見に行ったのです。
そのレポートを別ページにアップしました。

「文明は進歩する」「生物は進化する」という固定観念に捕らわれてはいけません。生物もより良く進化してゆくという考えは実は人間の思いこみにすぎません。人間の文化、文明も、実は進歩などしていないのであります。瓦版がインターネットやTVに代わっても、5万年前だろうが西暦2000年だろうが、人間はずっと同じ事を繰り返しているのですね。
 太平洋戦争の戦史をひもといてみると良く解ります。当時の政治や軍のしていたことと同じ事を今でも政治や企業の中で繰り返しているのであります。
 死ぬか生きるか、国が滅びるかの瀬戸際においてさえ、年功序列温情人事を行い、重要な決定も他人との確執やメンツ、思いこみによって左右されているわけであります。

もうすぐ55回目の8月15日がやってきますね。

7月31日(月)

 俺のところへ来てくれるお客さん、とてもいろいろな方がいるんです。
それで、皆さんにも聞いて頂きたくなるような話もたくさん有るのだけれど、実例を挙げて書くわけにもいかないんで、なかなか書く機会が有りません。

俺のところは元々、コスプレやSMごっこなど、あまりやる機会が無かったり、恋人とはどうもやりにくいなんていう内容の事を出来る様にと思って始めたんだけど、そういう事が目的の方と、いわゆる「ノーマル」な方と半々くらいになっています。
 最近忙しくてずっとエッチしてなかったんで、溜まっちゃって爆発寸前って感じで駆け込んでくる人もいますね(^^; 
 ノンケだけど凄くM気が有るとか、ノンケだけどジーンズのコスプレしてみたいとか、そんな方達も結構いるんです。
 それから、彼氏がいるんだけど、彼氏は全然競パンフェチでも無いし、SMっぽいのにも興味無いんで、って事で来てくれる人もかなり多いです。それで、どうしてなんだか未だに解らないけど、「付き合ってる」パートナーがいる人って見てすぐ解るんですよね、どうしてなんだろう、、、。

俺は現在、「宣伝」というのはHPだけなんで、来てくれる方はみんな「かわいひでとしホームページ」を見て来てくれるわけだけれど、フォトストーリーの「競パンSM」をやられたいとか、「メジャープレイ」やりたいとか具体的なリクエストをしてくれる人が多いわけです。
それで、俺の日記とかを読んでくれて、「話がしたい」「ちょっと相談に乗って貰いたい」という感じで来てくれる方もいます。

そんな感じでいろいろな人からいろいろなお話を聞いていると、とてもいい話がたくさん有るんですよ。
 恋人とセックスが合わないという悩みは結構多いですよね、、。
ただ合わないだけじゃなくて、考え方なんかも随分違っていて悩んでいるという話も良く聞きます。
 住んでいる場所の関係で、あまり頻繁に会えない相手と「付き合っている」場合に、相手が結構他の男と遊んでいるらしい、なんて話も良くあります。
でも、だからむかついたとか別れるとかいうだけの話ではなくて、それはまあ理解出来るし許したいんだけど、なかなか自分の気持ちを整理するのが難しいというわけです。優しいね、というか、男だねー。
それで、その相手のほうも、他で遊んではいるけれど、パートナーの事を愛しているんですよね。片方は恋愛していて、片方は兄弟愛みたいな愛情を持っている状態とでも言うんでしょうか。どちらの気持ちもとても良く解って、ちょっと困ってしまいますね、、、、。ちょっと単純化して言ってしまうと、これはきっと時間差なんだろうな、なんて思います。
俺は「恋愛」というのは、非常に大きくて広い「愛情」というものの、ほんの導入部にすぎないと思っています。導入部にすぎないからと言って、決して軽く扱われるべきものでもないんですが、なんというか、やがては卒業していくものとでも言うんでしょうか、そんな風に思います。だからこのカップルはきっと、もっと会う時間をたくさん持てればもう少し上手く行って、素敵なカップルになるんじゃないかなって思います。
 自分がゲイかどうか良く解らないと言って来てくれた人もいましたね。
そんな人達の話を聞いていると、ゲイとストレートの境目なんて無いのだと感じます。というか、混沌としているんですね。


以前、ハスラー・アキラさんが出席した売春の国際会議の中で、研究者が売春婦(夫)に「あなたたちは自分がお客に対して、カウンセラーの様な役割をしているか」と問われて全員がイエスと答えた場面が有ったのだそうですが、なんだか良く解りますね。
 また逆に、どうしても合わないお客さんもいますよね。これも難しいけど、いくら作ったり演技したりしても無駄だと思って諦める事にしていますけどね。

皆さんに聞いて貰いたくなるような、いい話がたくさん有るのに、あまり書けない残念さで書いてしまって、なんだかまとまらない話になってしまいました。

7月28日(金)

今日は朝、バイトから帰ってきてヒマだったのでスカパーのZAPTVを購入してもうた。24時間800円のアダルトチャンネルっす。そんなわけで24時間AVを見続けて一日中ボッキしておりました。
せっかく買ったんで、もったいないから見とかんとってことで今も見ながら書いてます。(あちゃー、すごい、大量顔射、、、汁だく、汁まみれ)
あ、牛丼の汁だくは嫌いです。

しかしAVってほんとに楽しそうにエッチしてるよなぁ〜。
見習いたいもんですね。

7月28日(金)

昨日、 「セックスはなぜ“快感”なのか!?」宝島社 別冊宝島編集部 編
というのを探しに本屋へ行ったらんですが、売り切れてました。で、早速ヤマトに注文を出しました。
 しかし、本屋に行くといつも思うんですけど、こんなにたくさん本が有って、一体どうすればいいのか途方に暮れて立ち尽くしてしまいますね。
本屋って、世の中で生きているのと良く似ている感じがします。


「話を聞かない男、地図が読めない女」
アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著 主婦の友社

電車の中吊り広告で見て、随分気を引く題名の本で買ってみたくなった覚えが有るんだけれど、随分売れたらしくて、もう読んだ方もいるんでしょうね。
先週のヨミウリ・ウィークリーに著者のインタビュー記事が出ていましたね。
それを読んだだけで買わなくて済んでしまった様な気がしましたが(^^;
男性は空間処理能力に長け、女性は言語能力に長けているのだそうな。
 実は前々から思っていた事に「どうしておばはん達はこうも空間を把握する能力が無いんだろうか」というのが有りました。電車でもどこでも、わざわざ狭いところに入ってきて俺のすぐそばに立ったりするもので、、、、。
で、女性ってそういう感覚には鈍感な所が有るのかな、なんて漠然と思っていたりしました。俺は(昔の)職業柄、性差というものには理解が有るつもりなんで、ただムッとするだけでなくてきっと性差によるものだろうと理解を示そうと思ってはいたのです。
 で、女性の言語能力って事につては、思い出しますねぇ。昔、女の子とお付き合いしていた時に「愛してる」という言葉を要求された事を、、。そんなのってわざとらしいというか白々しいというか、言葉より態度で示したいみたいな事を言ったら、女の子はそういう言葉を待っているものなのよって叱られたりした覚えが有りますねぇ。
 この本読んだ方がいたら、いろいろ教えて下さいね。

7月22日(土)

 俺は小さい時から「せんべとお茶とコタツとTVが有れば言うことねーや」なんて事を言う奴だったんですが、今でも殆ど変わっていません。
ところで、俺は家庭の事情っていうやつで、中学生の時から一人暮らしして自炊したりなんかしていたもので、メシを食う時に何か読むものが無いと、どーも落ち着かないクセがいまだに残っています。
そんなワケで、三幸製菓(株) 粒ごませんべいとお茶を用意してめぐみさんの「風俗で見る20世紀」を読ませて頂きました。おもしろいやねぇ、好きですよ、こういうノリ。昔の日本の喜劇映画が好きなのも、こういうノリが好きだからです。いかにも泥臭いのにそれを押し通す明るさっていうんでしょうか、昭和時代のTVや映画のギャグはみんなこんな感じでしたよね。
その時代に育っためぐみさんのこの力作は、お茶とせんべのお供には最適でした。
今になって考えてみれば、なんとおおらかな時代だったんだろうと思います。
俺の家に、今はもう紛失して無いのですが、古い8ミリフィルムがたくさん残っていて、何度か見た事が有ったのですが、丁度その頃の風景がたくさん残されていましたね。「バタ屋」さんというのが出てきたり、ゴミを拾って生活している人です。道路にはトロリーバスが走り、国産車より外車のほうがたくさん走っていて、ぴかぴかに磨いたトヨタパブリカと日野コンテッサが登場したりするのです。良いとこのおぼっちゃまだった俺の父親は、東名高速道路が開通すれば直ぐに走りに行き、東海道新幹線が開通すればすぐ乗りに行っては8ミリカメラを回したのでした。
なんだか、知らない事や覚えていない事まで含めて懐かしいですね、。
うん、そう言えば「昭和元禄」なんていう言葉が有ったんでしたね、、、。

俺の生まれた家は、ずいぶんお金持ちの家柄も由緒正しいお宅で、父親は大変なおぼっちゃまで、祖母は家のプライドを守る為にはお金を惜しまない人でした。
「貧乏な家の子と遊んではいけない」という様な事を言われた記憶も有ります。それから、「モノを買う時は一つだけ買うもんじゃない」と教えられた事も有りました。
お店に行って、必要なモノを買う時に、それを一つだけ買うのでは愛想が無いから、ついでにこれも貰って起きましょうと言って、要らないモノも一緒に買うのが正しい買い物の仕方なのだ、という事なんですね。

 そんな俺の家も、父親が破産させてくれて、俺の家は線路脇の6畳一間の安アパートになり、父親は会社の寮に泊まり込みの労働者になりました。
月に一回だけ生活費を渡しに帰って来るだけで、あとは一人で自炊して生活していました。けれども、幼少の頃はお金持ちのおぼっちゃまとして育てられたわけで、お金を節約して一ヶ月もたせるなんて芸当はとても出来ない俺でした。お金が有るうちに米だけは買っておけば、塩をかけてでも食えるから米だけは買っておきなさいなんて父親に言われました。あのおぼっちゃまが、そんな事を言うようになったんですね。それで、実際にお金が無くなって米だけ食ったりしながら生活していましたっけ、、、、。

 でもねぇ、例えばモノを買う時は「ひとつだけじゃ悪いから、これも貰っておきましょう」なんていう買い方は、今でもやはり好きです。
見栄を張るというよりは、どこか男の心意気みたいな感じがして好きだし、相手に気を使うのだから好きです。
 俺は酒を飲まない人なんですけど、例えば飲み屋さんへ行ったら、「マスターも一杯どうぞ」って言うものだと思っているし、飲みに来てこんな安いんじゃ申し訳ないからボトル入れておきますって言ってみたり、そういうのって、決して見栄だけでやる事でも無い様に思います。
酒じゃなくても、お茶飲んで長時間居たら追加注文するのが礼儀だと思ったりします。(でも、今のファーストフード店では、そんな雰囲気は生まれませんよね)
金も無いのに、やっぱりそんな風に思います。

 

7月21日(金)

ずっと何年も、機会が有ったらやろうと思って待ち構えているのに、未だやってこないこと。

救急心肺蘇生法・・・急に目の前で誰かが倒れて意識不明、心肺停止状態になったら、すぐにやろうと思って待ち構えている。

兵隊志願・・・・急にどこかの国が理不尽に日本に攻めて来たら、すぐに自分の命を省みず志願して兵隊になろうと思って待ち構えている。

正義の味方・・・・おやじ狩り、ホモ狩りなどを目撃したら、自分の命を投げ出して止めに入ろうと思って待ち構えている。

寄付・・・・・ん億円の宝くじが当たったら、自分の住む場所を買って生活出来るだけ頂いて、残りは全額寄付しようと思って待ち構えている。

いつでも覚悟は出来てるんで、特に4番目、早く来て下さい。

7月20日(木)

IP接続にしてから最初の電話代請求書が来た。
おおおお!電話代が半分以下になってる!!!!
今までちゃんとテレホーダイの時間を守ってなかったからねぇ、、、。
 けど、常時接続出来るからって、繋ぎっぱなしでほうっておいたりしてるんで、今度は電気代が凄かったりして、、、、。
パソコンって結構電気食うんだってね?
資源の無駄はやめましよう(^^;

昨日バイトから帰ってきたら、窓開け放したままエアコンがつけっぱなしになっていた、、、、、がーーーん!

それで思い出したけど、ご飯炊いて、そのまま忘れて数日後気が付いて、蓋をあけてみたら、、、、、、
ムンクの「叫び」になってしまうのでした。

7月19日(水)

 最近「17才」がある種の問題の代表にされてしまっているみたいで、17才の人たちには気の毒な事です。
 そのいわゆる言うところの「17才」の問題って、例えば、
TVゲームというものに「リセットボタン」がついていなかったらこんな事にはならなかったかもしれない、とか、
1クラス10人位の学級編成だったら、とか、教室で必ず犬など動物を飼う事になっていたら、とか、学校の先生が人生経験豊富な人達だったら、とか、
そんな事を思ってしまいます。
 今週のYOMIURI WEEKLYを読んでいたら、その関連の特集があって、子供からパソコンを取り上げないといけないかもしれないと言うような事が書いて有りましたが、もしかしたらそうかもしれないと思いました。
生身の人間と付き合う事をいくらか覚えた上でのチャットやBBSでしょう、やっぱり、、。
ほんとにこういう事を考えていると、とてつもなく鬱状態になります。

7月19日(水)

明日祭日だなんて知らなかったよー。しがらみ劇場の日記を読んで、初めて知った。

この数日地の底に落ちる様な鬱状態。誰かにイジワルされたわけじゃないんだけど、とてもイヤな事が有ったりして、考えれば考えるほど地の底に落ちて行きました。「17才」が問題になっているけれど、特に17才だけの問題じゃなくてね、こういう若い人たちの未発達さを実際に目の前で見て、教育問題みたいな事を考えてしまったのでした。自分の生活も満足に出来ていないのに、なんで社会問題で鬱にならなきゃなんないんだか、って感じですね。俺は相当おめでたい奴なのかも、、。
 このへんの事は今、頭がまとまんないから、また書きましょう。

以前運動が職業だった時はメシもいっぱい食ってたし、サプリメントも結構たくさん飲んでいたけれど、ここんとこメシは食わない、サプリも飲まない日々でした。メシが少ないぶん、サプリメントくらい飲まないといかんな、と思って「ポポンS」と「エビオス」を始めました(^^; ま、こんなもんで十分でしょ。ポポンSって、飲むのを止めると急に躰がだるくなるんで、きっとこれは効いているに違いないと思っています(^^; どちらも高くないので助かります。以前はサプリメント代だけで毎月2〜3万かかっていましたもんね、、。えっと、これは俺の単なる個人的な感覚なんで、参考にしないで下さいね。栄養学の成績が一番悪かった奴ですから、俺。

7月18日(火)

今日は布団と枕を洗濯機で丸洗いしてしまった、、、。ん〜気持ちいい。

 今日、某やっほーさんで色々検索していたら、ちゃんとかわいひでとしホームページが載っているではありませんか。びっくり。つうか、登録したんだけどさ。
随分忘れた頃に登録されるんですね、。
「かわいひでとし」って検索したら、引っかかったし(^^;

7月16日(日)

スカパーでたまたまやっていた映画。
「時をかける少女」(1983年 大林宣彦監督 原田知世主演 角川映画)

この映画は大好きだった映画のひとつです。
でも、大林監督は「映像の魔術師」なんて言われていますが、どこが魔術師なんだか、、、、という気はいつもします。
それで、この映画、特撮も演技も稚拙だし、イマイチなのですが、監督が「やりたかったこと」が解るもので、その「やりたかったこと」がとても良いんですよ。この映画ではその「やりたかったこと」が半分か7割しか出来ていないのですが、、。でも、音楽は良かったなあ。入江若葉も綺麗だった。
なにより原田知世の透明さが、とても良かったね。

未来人がやってきて、あたかも昔から存在した人間であるかのように人の記憶を書き換えてしまう。その未来人に恋をしてしまった少女。でも、未来人が未来に帰る時、今までの記憶を全て消さなくてはならない。その少女の記憶からも、その恋を消さなければならない。いつの日か、再び巡り会っても、もう何も覚えていない事になってしまう、、。切ないですね、このテーマ。


自分で勝手に「タイムスリップもの」と読んでいるジャンルが有るんです。
文字通り時間を移動する話、それからタイムスリップをする訳ではないけれど、回想したりして違う時間が登場するもの、又は時間じゃなくて現世とあの世とか、違う世界を移動するもの、そういう映画を全部まとめて「タイムスリップもの」って呼んじゃってるんです。
こういう映画って何故かもの凄く感動してしまうんですよ。

凄く古いものでは「天国から来たチャンピオン」なんてのも有りました。泣きましたよ。それからね、ピーター・オ・トゥールの「ラ・マンチャの男」、かなり古いけどね(^^; もう、感動してしびれました。
ドンキホーテのお話です。この映画では最初に作者が登場するんです。その作家が捕まって、宗教裁判にかけられる事になり、裁判までの間、地下牢獄に放り込まれるんですね。その牢獄の中で持ち物を奪われそうになって、牢獄の中の裁判が始まります。わたしは作家だから、劇で弁明させてくれと言って、ドンキホーテの劇中劇が始まるわけです。そうして、劇中劇がクライマックスに達した頃、ガラガラガラと鎖の音がして、地下牢獄の扉が開き、作家は宗教裁判に連れ出されるわけです。この場合は時間でも世界でもなくて、次元みたいなものが移動する「劇中劇」なわけですが、こういうのも感動しますね。

ゴースト(霊界と現世)、タイタニック(回想として時間を移動)、なんかもこの手の映画ですよね。

「時をかける少女」が「タイタニック」みたいな凄い映像でリメイクされたらいいだろうな、って思います。ね、大林監督。

7月13日(木)

 学生の頃、古文の時間と言えば学校を抜け出して喫茶店でタバコを吸う時間と決まっていたんですよね、、、。
今回江戸時代の浮世絵の本を読んでみて、つくづく自分の教養の無さにそれを後悔するのでした、、、。
 書道の時間もお手本にするのは古い中国のものばかりで、日本の仮名のものは殆どやった事が無かったなぁ、、。
 ということで、くずした仮名が読めない、古い日本語が解らない、ああ、悲しい、、、。

北尾重政 「笑本春の曙」(1772年)
これにこう書いてあるわけです、「にくき物、片かげへ引こかして交合の最中、犬のとがめていらいらほゆる」
これなら俺にも解るわけですよ、誰でも知っている超有名な古典「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく、、、」っての、あれのパロディですよね。
で、平成に生きる俺と、江戸時代の人とが共有出来る文化なんだなぁって思うわけです。200年ほどの時間は隔てているけれど、同じ日本人なんだよね。
たかが200年くらいの時間差の人が書いたものを読めないなんて、なんと悲しい事だろうか、って思ってしまいました。
 で、ついでにこの春画について、また野暮な解説をしておきます。
上記の「にくき物、、、」ってやつです。
野外の物陰でヤってる最中に、犬が来て吠えやがる、って感じっすね。
で、男のほうが石を投げて追い払おうとしてるんっすよ。女のほうはもう、エッチに夢中になっていて、「ねぇアナタ、犬なんてほっときなさいよ〜、それより、もうとろけるようだわあああああ」とかなんとか言っている絵なんです。笑えるっしょ?男がヤりながら必死になって犬を追い払おうとしてるのが面白いんすね。んで、動物好きな俺としてはもう、この時の犬の顔が目に浮かぶんですよね(って犬の顔も絵に描いてあるんですけど)笑いながらちょっとふざけて人間をおちょくって、面白がってわんわん吠えてるんっすよね。

自分が勉強しなかった事をひとまず棚にあげて、学校で習った事が役にたたないのにちょっと腹がたちますね。なんで古文が読めないの?さんざん英語やっといて、なんで喋れんの? 葛飾北斎って、富士山だのの風景ばかり描いていた版画家だとばかり思っていたら、なんだ、こんなにたくさん春画を描いてるんやないかい、とか、、。
む〜、勉強しとかんといかんねぇ。

7月12日(水)

 「好きです」と告白されて怒る人を見た事、有りますか?
結構有るんじゃないかと思います。
結論を言ってしまうと、タイプじゃない人から告白されると何故か怒り、タイプな人から告白されると顔を赤らめて喜ぶ、って感じですかね。
これって結構面白いですね。

全然タイプじゃない奴から痴漢されたらムっとしますよね。
でも、凄くタイプな人から痴漢されたらどうなんでしょう。
ちょっと嬉しかったりはしないですか?
 それから、友達同士で「あんなブスに告白されてしまった、てめえの顔を鏡で見てから言えってんだよ」みたいな事を言って怒っている人もいますよね。
まあねー、気持ちは良く解るけどね。よくよく冷静に考えてみれば、なにも怒らなくたっていいじゃんか、という事になりますよね。
 最近いくつかの痴漢の裁判に関する新聞記事を読みました。
それで、痴漢の裁判で被告が無罪になった例を2つくらい見た時に、そんな連想をしました。
痴漢というトラブルにも、きっとこういう要素が入っているんだろうな、なんて想像したわけです。
それで、ある裁判では、被告は相手の身体を触れる様な状態ではなかったという事で無罪になったのだそうですが、全くの想像ですが、被害者のほうで「汚ねえオヤジ=痴漢をする=ムカツク」みたいなのが有って、たまたま相手が「汚ねえオヤジ」だったので痴漢をされたと勘違いして激怒したのかもしれないなんて事を想像しました。

告白された場合でも、相手を「ブス」だと思うのも自分の主観なんだし、悪口を言われたわけでもなく「好きだ」と言われたんだから、まあ許してやる事にしましょうよ。
全部が全部そうなわけじゃないけれど、こんな要素って有ると思いませんか?

7月12日(水)

昨日買った本、(「春画の中の子供たち」 早川聞多 河出書房新社)
読みながら色々な事を考えました。

 長い人間の歴史の中で、それぞれの時代によって価値観が変わってきたわけで、現代の我々から見たら、一夫多妻制を奇異に思ったりするのと同じように、昔の人から見たら、現代人がセックスを特別視している事を驚くのかもしれません。人間が日常食事をしたり排泄をしたり、或いは会話をしたり入浴したりするのと同列の、人間が日常普通に行う行為のうちの一つであって、特別扱いするものでは無いのがセックスなんじゃないでしょうか。

子供をあやしながらセックスをするなど、とんでもない!と思ったり、一体どんな神経してるんだって思ったり、怒らないまでもドキっとしてしまったりする人も非常に多いかと思います。
でも、ちょっとゆっくりと考えてみると、なんと自然でおおらかなんだろうという思いがします。
公衆の面前で犬がセックスを始めてしまって、人間に水をかけられたりなんかする事が有りますが、犬たちにとっては自然にやっている事で、それを人間が勝手に驚いて止めさせようと水をかけるわけですね。
セックスというものは、非常にプライベートなものであって、人に見せたりするものでは無いという考えが有るのを否定まではしないけれど、良く考えてみれば、お互いに知っているのに黙っているだけの事なんですよね。結婚したカップルに子供が出来れば、ああ、あの二人は少なくとも1回はセックスしたのだな、という事が解るわけですよね。子供が出来たカップルに「おめでとう」とか「かわいい子だね」とか言うことは有っても、この子を作った時はどんなセックスだったの?とか聞いたりしないわけですね。良く、奥さんがセックスが強いと男の子が生まれて、ダンナさんがセックスが強いと女の子ばかり生まれるなんて言いますけれど、ある家に女の子ばかり生まれているのを見て、きっとあそこのダンナはセックスが強いんだろうと内心では思うわけです。でもそれを口に出してまでは言わないわけですね。でも、お互い内心では解っている事を絶対口に出さないのも、ちょっとへんな事だとも言えると思います。


例えばこんな風景はどうでしょうか。
夫婦が居て、子供が一人います。親子三人同じベッドで寝ていて、夫婦がセックスするときには、子供に「パパとママはいつもこういうことをするんだよ。パパとママがこれをやっているときは邪魔しないようにしてね」とかなんとか言って子供にセックスを教え、見せる。あるとき夫婦がセックスしている所へ子供が来て、「パパとママがあれをやっているから、邪魔をしちゃいけないな」と納得して他の部屋へ行って一人で遊んでいる所に、隣のおばさんが尋ねて来て子供が「今、パパとママはセックスしてるよ」という。「あらそう、それじゃ邪魔しちゃいけないわね、また後で来るわ」と言って帰っていく。後でママが隣りのおばさんに「先程は尋ねて来て下さったのに応対出来ませんで、ごめんなさい」と言いに行く。「いいえいいえ、いいのよ、でも、新婚さんはアツアツでうらやましいわ」と言って笑う。
 と、こんな感じだったらいいと思いません?
そして、その子供が成長して恋人が出来たらセックスをするでしょう。
セックスをしたら、親にも何のためらいもなく話をするでしょう。
親はセックスをした事自体を責めたりはしないでしょう。でも、まだ働いていないのだから、子供が出来ないようにセックスをしなさいという指導をするでしょう。そして、きっとその子供はセックスに対して余裕が有るだろうと思います。余裕が有るというのは、セックスは誰でもする事で、誰でもやって良い事なんだと思っているからこそ、やるときにはまだ育てられないのなら子供が出来ない様にやらなくてはいけないと言うことも余裕を持って受け入れられるということであり、やるなら病気にならないように気を付けながらやるという方法論を冷静に受け止める事が出来るということであり、やりたい人とはやるけれども、やりたくない人とはやらないのだという事も冷静に考えられるという事なんじゃないでしょうか。

セックスに対して余裕が有る人と無い人では、例えばユーモアの有る春画を見て、余裕の有る人ならば、見て笑って楽しんでからマスタベーションのオカズに使い、余裕の無い人はユーモアを理解する前にすぐマスタベーションを始めてしまうという違いが有る様に思います。
また、裸婦の絵画を見て、ドキっとしてしまって芸術鑑賞どころではなくなってしまうのと、裸体は見慣れているので、ドキっともせずに美しいなと思いながらその絵画を鑑賞する事が出来るという違いというのも有るでしょう。

昔だったら、乳児に水泳をさせるなんて事は考えられなかった事だけれど、今では乳児に水泳をさせたりするように、子供がセックスに対しておおらかに接する事が出来る様になったら、きっと素晴らしいんじゃないかな、なんて思います。

7月11日(火)

アキラさんとの48手をきっかけに、ちょっと江戸時代のセックスに興味を持って、ネットで48手や春画を検索したのだけれどなかなか良いのが見つかりませんでした。春画って殆ど見た事が無いのだけれど、たまに見る機会が有ると、とてもおおらかなセックスだった印象が有って、江戸時代のセックスはおおらかなものだったんだろうか、という気がしていました。
そんな折り、朝日新聞の書評欄に出ていた本が、たまたま春画をテーマにしたもので、興味を引かれて買いました。
いやー、むちゃむちゃ面白い本ですよ、これ。
「春画の中の子供たち」 早川聞多 河出書房新社

春画の中に、しばしば子供が登場する事に着目して考察している本なのです。
ポルノと子供、と言えばもう、タブー中のタブーですよね。それが春画の中では、大人がセックスしているそばに子供がいるんですね。これは一体何故なのかという考察をしているわけです。
 簡単に結論を言ってしまえば、幸せな夫婦関係のシンボルである場合もあれば、ユーモアとして、笑いを誘うためのものであったりするわけです。
そして、子供だけではなくて、犬やネコもたくさん登場します。これがまた最高に面白い!かなり笑えます。

昼間っから発情してヤり始めてしまった夫婦の所へ子供が来てしまって、鬼のマネをして子供を追い払おうとするけれど、子供が面白がってしまって、しまいにはヤりはじめるとまた鬼をしてくれると思って子供が寄ってきてしまう、という内容の春画。

夜の公園でカップルがやっている目の前で犬のカップルもやっている春画。
「犬がやってるの見たら、やりたくなっちまったぜ」と言って人間も始めてしまうのだけれど、女のほうが犬を見て「にくたらしい、蹴っ飛ばしてやって」とヘンに対抗心を燃やしていたりします。

こんな楽しい春画がたくさん紹介されています。

で、たくさんの春画を見ていて思ったんだけど、これって、江戸時代版「かわいひでとしホームページ」じゃんんか!って事(爆)
春画にはみんなセリフがついていて、エッチであり、なおかつ笑えるものになっていたりするのですね。そのセリフも結構面白いものも多く、ズッコンバッコン、チュパチュパ、の擬音系、ああ、いいっす、たまんねっす!という喘ぎ声系、笑えるセリフ、等々、それはそれはセックスファンタジーエンターテインメントの世界です。「かわいひでとしホームページ」のかわいひでとしも脱帽!って感じです(笑)

女房を真ん中にして3人で寝ている時に、子供と亭主が目を覚ましてしまって、子供は乳を欲しがって、亭主はエッチしたくなっちゃって、っていう春画。
亭主が「お前そっち向いてガキに乳をやれ、俺は後ろからヤるからよ」って言うと、女房が「後ろ向きは嫌いだから、今子供を寝かしつけるから待ってなさいよ」なんて言う、でも亭主がガマン出来なくて始めてしまうと、「アレサ、イイ、もふ、入れるならはやく、ハアム、、、モウト、ぐっと入れなよ、ム、ム、、、、」なんて事になってしまって、亭主が「夕方エッチ本を見たもんだから、どうもやりたくてたまんなくなっちまったんでぇ」って。

こたつで発情してしまった若いカップル。こたつの中で始めてしまうと、中で寝ていたネコが「ひとがせっかく気持ち良く寝ているのに、、」って、あくびしながら出てくる春画。かわいいでしょ?
この、動物達のセリフも結構笑わせるのです。

いやー、ほんとに楽しい本です。もう、ほんとたまらんです。すごいです。ユーモアと愛情が溢れています。
特に動物大好きなもので、動物が登場する春画は、抱腹絶倒状態でした。
いいですねぇ、こういうおおらかなセックスって。


7月10日(月)

 俺はどうしてこんなに動物をかわいいと思うんだろうって考えた時、いつも思うのは「言葉を話さないから」なんじゃないかということ。
まぁ、要するに個人的な趣味としては「口数の少ない奴」が好きって事なんでしょう。
友達でも恋人でも、二人で一緒にいて殆ど喋らないで過ごすのって、とても好きです。言葉を使わないからこそ、気持ちが伝わって来る、という部分って有ると思うんですよ。それに、たくさん言葉を発する人の言う事を聞いているとその人の気持ちが解らない事が多かったりもする。言い訳なのか、本当に言葉通りに思っているのか、他の意図が有るのか、単に頭に浮かんだ事を全部口に出して言ってしまうタイプの人なのか、、、。
それよりも、口数少ない奴が、やっぱり好きだなぁ、、。
一緒にいて殆ど言葉を交わさない時って、例えば一緒にTVを見ていて、二人ともそれに熱中している場合だったら、二人がとても強く同じモノに関心を持っている状態で、本当に同じ時間を共有出来たって感じる。二人が同じものを観ていても共有出来ない場合っていうと、デートで映画を見に行って、見たい映画がそれぞれ違って、一人が熱中して観ていて、もう一人が退屈してしまうなんて場合だよね。
恋人同士で「愛してるよ」なんて言ったり言われたりするより、なにげにぎゅっと抱きしめたり、られたりするほうがずっと気持ちを感じるしね。
昔々、女の子と「付き合って」いた時に、女の子は「愛してるよ」の類の言葉を期待しているものなんだから、もっと言って欲しいって散々お説教された事が有ったっけ(^^; でも、やっぱり俺のシュミとしてはなんだかなじめないなぁ。
犬やネコがさあ、何故か突然、思いっきり顔を舐めて来たり、身体をくっつけてきたりしたときの嬉しさは、やっぱりたまんないなぁ。「なんだよ、お前、突然どうしたんだよ〜」って言いながら、もう嬉しくてたまんなくなるよね。そういうのって、言葉で言われるより、何倍も気持ちを感じて嬉しいものだけどなぁ、、、。

バイト先に中国の奴が居るんだけど、日本語が得意じゃないから話をするときは単語程度だったりする事が多いんだけど、やっぱりいいなぁ、そういう会話って。一生懸命仕事をやります、協力して仕事やりましょう、頑張ろうね、という気持ちが伝わって来るもんなぁ、、。
俺、あいつの事は凄く好きです。

俺の中ではこういう口数が少なくて、気持ちが熱い奴っていうのは、「人間の土地」に出てくるアンリ・ギヨメのイメージと繋がるんだよね、、、、。

7月9日(日)

 みなさん新聞は何を読んでます?
俺の実家は毎日新聞をとっていた様に記憶しています。
俺は17才の時に親から離れて新聞販売店に住み込むようになったんだけど、それが朝日新聞だったので、それ以来ずっと朝日を読んでいました。
それで、学校の先生も朝日が良いみたいな事言うし、試験問題にも天声人語から出題されたりだの、やはり朝日新聞が一番権威の有る新聞なんだろうと、なんとなく思う(思わされた?)様になってずっと朝日でした。
 20台も半ばを過ぎた頃から、朝日ってちょっと偏ってるなぁなんて事を感じる様になりましたが、やはりそのまま朝日を読んでいましたね。
社説なんかで書いている事でしっくり来るのは、産経の様な気がしないでもないけれど、なんとなく読売新聞でもとろうかなーなんて思ったりしてます。

そうそう、雑誌って買うの好きだったんだけど、これもやはり20台半ばくらいから、中身の薄さを感じてだんだん買う気がしなくなってきましたねぇ。
「特集」とか言ったって、薄っぺらで失望する事が多くなりましたね。
 夕刊ゲンダイを買って読んだ時に、なんつーしょーもない新聞なんだろうって思った事が有って、それ以来買っていません。
ありゃあ批判でもなんでもなくて、ただの悪口だよ、って思いました。
週刊誌もねー、新潮とか久しぶりに買ってみると、もう感覚が古くて読んでられない、、。いかにも古い編集者の感覚だなぁ。

古いって言えば、報道なんかの言葉使いも「?」なのが多くないっすか?
電車の事故で1万人の足が乱れた、ってのが代表かな(^^;
そろそろもうちょっと気の利いた言葉に変えたら?っての多いよね。
だいたい、首相だの監督が「続投」するってのが氾濫してるけど、森さんもトルシエも何も投げないっつーの。

運送会社、俺は佐川急便じゃないと信用出来ないような感覚が有ったんだよね。ヤマトってトロくてじょーだんじゃねぇ、みたいな(^^;
佐川に出せば確実、っていう思いこみが有りましたね。佐川で働いていた事が有るもので、あんなトロトロ歩いてる運送屋じょーだんじゃねぇ、みたいな感覚なんですね、これは(^^;
今では運送会社はヤマトばっかし使ってますね。
ドライバーの人数が多くて、ドライバーの負担が少ないぶん、サービスが濃い様な気がしています。

俺は森永乳業関連の会社にいた事が有るんだけど、とにかく乳業メーカーでは雪印が強くて、いつも雪印にはかなわなかったんだよね。要するに、今報道で言われているように企業イメージが良かったわけですね。今回の事が起こるまでは、森永といえば「ヒ素ミルク」という連想をする消費者がまだまだたくさん生き延びていて(^^; そりゃあもう、乳業メーカーの企業イメージというのは大変な問題なのでありました。それが今回の事で天地がひっくり返ってしまいましたね、、、。ささーーーっと、店頭から消えてしまいましたねぇ、雪印。う〜む、正直な感想は、気の毒って感じ。

ジーンズはリーバイスだと思いこんでいたし、競パンはSPEEDOだと思いこんでいたけど、最近はそうでもないみたいだしね、、、。
つまらん思いこみで世界を狭くしている事って結構有るかもね。

7月7日(木)

 む〜。
キーボード買って来たけど、でかくてじゃまくさいなぁ、、、。
今回は3799円のマイクロソフト製のものを買ってきました。
ついでにマウス買ったんだけど、コードが短くて使えない!!
くっそ〜。

今日はふと思い立ってベッドを分解してベランダに追いやってしまいました。そんでもって、空気を入れるベッドにしてみました。
けど、これってちょっと低いんで「ベッドに上半身のせて四つん這いにして犯す」ってのがやりにくいかも、、、。

7月5日(水)

 先日秋葉原で780円で買ったキーボード、もう調子悪くなってもうた。
調子悪いのはKのキーだけなんだけど、Kが調子悪いとえらい不便やね。

という文章を、この調子悪いキーボードで打つとこうなります。
「先日あっきはばらで780円であったいーぼーど、もう調子がわるっくなってもうた。調子悪いのはKのイーだっけなんだえど、Kがっちょうし悪いとえらい不便やね。」
つうことで、今度は奮発して3000円くらいの新品をかています(^^;

7月3日(月)

毎日新聞 6月30日
 「東京都の三宅の出先機関が、なんとバカなことをしているか。私は全く知らなかった」。石原慎太郎都知事は30日の定例記者会見で、三宅島(三宅村)の現地対策本部が29日に知事の視察を控えた朝の会議で避難勧告の解除を話し合わず、知事の“ご来島”の打ち合わせに終始したと発表したことに激怒。「小役人、ホントに木っ端役人の考え方だね」とあきれた。 
 石原知事は「みなさんをほめることは珍しいが、新聞もたまには役立つと思ってね」と切り出し、現地本部の対応を伝えた毎日新聞の記事に触れた。そして「警察、自衛隊、消防も巻き込んで、知事様をどうやってお迎えするか、しかも避難所に行ってだな、寝ているおじいさん、おばあさんに練習させた。とにかくあきれるね、こりゃ」と、拍手など歓迎の予行練習をさせた“お役所仕事”を暴露した。 
 さらに「(都知事は)殿様でも悪代官でもないんだから。一切やめさせます。情けなくなるね、こんな話は」「ホント、ピエロですよ。滑稽(こっけい)な話」と、どうにも怒りが収まらない様子で繰り返し嘆いた。 

この記事を読んで全く拍手喝采してしまった。
交通安全運動と称して街角にテントを張ってお茶飲むのも、やめたらいいと思うねぇ。あれ自体は町会費使って年寄りが何か出来る事だから別に好きにやってくれてもいいんだけど、根底に有る考え方が好きになれないんだよな。