令和5年1月14日 買われました 売ると決めたのは自分 |
有る男女がセックスをしたその後、 女性のほうから「レイプされた」と告発する事例とか、 売春をして「私は買われた」と 自身が被害者であるかの様に言う事例とか、 かなり違和感を覚える。 そんな事言うならやらなければ良いじゃないか、という意味で。 暴力を振るわれたり恫喝されたりしてした場合と、 その時点で合意の上でやった場合とは、きっちり分けて考える必要が有ると思う。 売春の場合、昔の様に嫌がるものを無理やり親に売られたとかではない訳で、 自分でやろうと思わないと売る事は出来ない。 売らなければ買う事は出来ない。 でもそれは貧しさによるもので同情するべきと言う意見も、 他に仕事はいっぱい有るし、売春を選択しなければ良いだけの話。 でも、でも、 貧しくて切羽詰まってしまってやってしまったその状況に同情するべき、 という意見も有る。 自分も恐ろしく貧乏をした経験が有るのでわからんでもない。 思いつめてしまって、これしか無いと思ってしまってやったのだ、というのは解る。 けれど、反社の様な人間に借金のかたに無理矢理やらされたとかではないのであれば、 どうしても本人の意思でやったとしか言いようが無い。 状況に同情はしても、本人が決めてやった事だ。 2時間くらいで何万円とかになる仕事というのは、一般人ではなかなか無いだろう。 色々同情したくなる理由は有るにせよ、結局は自分でした事。 それを自分が被害者で有るかの様に言って、買った人を加害者の様に言うのは、 やっぱりちょっと神経を疑うのだ。 自分は若い頃、「売った」事が有る。 若い頃は美少年だったもので、、、、。 一緒に居て楽しいお客さんも居れば、キモくてたまらないお客さんも居た。 基本的に「内心はイヤだけどお金の為にやる」という仕事だ。 お客さんが良い人なら嬉しいが、イヤな人ならイヤなのだ。 お客は選べないし、基本的にイヤなのをガマンしてやる仕事だ。 ただし、本当に心底イヤだと思っていたら、とても出来る仕事ではない。 イヤなものは死んでもイヤなのであって、 何が有っても絶対やりたくないと思えばやらない仕事だ。 本当にイヤなら絶対にやらないし、 もしやってしまっても一回やったら心底懲りてもう二度とやらないだろう。 だからこういう仕事は、出来る人と出来ない人が居る。 売っているその時間は、売っている本人も有る程度楽しむくらいでないと、 とても出来るものではない。 それが解るので、イヤなら売らなければいいじゃん、と言える。 いくら貧しくても、絶対やりたくなければやらないのだ。 そして、自分が貧しいのは結局自分のせいなのだ。 それは自分の胸に手を当てて考えて見れば、自分がだらしないから貧しいのだ。 自分の事として振り返ってみると、結局全部自分の責任なのだ。 「普通の」仕事をしても長続きしないとか、金遣いが荒いとか、 色々とだらしないから貧しいのだし、それは自分の責任だ。 自分が貧しいのは他人や社会のせいだと思った事など無い。 悲しいし、辛いし、本当にイヤな事だけれど、どう考えても自分の責任なのだ。 それを他人のせいの様に言う神経が本当に解らない。 ついでに春を売るという事について、補足しておくと、 売っている人には色々な人が居る。 この仕事に誇りを持っている人も居る。 モテないからお金出して買いに来るのだ、かわいいじゃないか、と、 なんだかそのお客に憐憫や愛情を感じた事も有る。 うん、いいよ、いいよ、この2時間の間だけでも幸せになってね、と思った事も有る。 そんな意味で、愛情を持てたり、誇りを持てたりすることも有るのだ。 その仕事をある程度長く続けられる人はそういう人だ。 イヤでたまらなかったらすぐやめるだろう。 イヤでたまらないけど続ける人は、普通の労働がイヤでたまらないからだ。 結局、自分のだらしなさや弱さから来ているので、自分の責任なのだ。 この文章を読んでいる人にも、出来る人と出来ない人が居ると思う。 出来ない人にとっては、「なんでそんな事するんだ、信じられない」だろう。 それが正解だ。 出来る人にとっては、お金に切羽詰まってしまったのなら仕方が無いと思うだろう。 それが正解だ。 要するに個人の選択だ。 そんなキモい仕事やるなんて信じられないとか、買うなんてキモすぎる、とか、 そういう個人の感想で考える問題ではないと思う。 自分の責任で選択する、という事だ。 その選択をしなければならなくなった理由、貧しくなった理由、 これも自分の責任なのだ。 売春は違法だからする事を前提にした話は無意味だ、とか、 役人の様な事を言わないで現実的に考えて見たほうが良い。 「世界最古の商売」などと言われるほど昔から実際に存在する事なのだ。 オランダが有名だけれど、売春が合法な国も有る。 搾取や病気から保護する為に、国が制度を決めて運営するのは現実的ではないだろうか。 ということで、状況として同情する部分は有るが、それは結局全部自分のした事で、 それを他人のせいだと言うのはおかしい、と言いたい。 昔、「ワタシが決めた」という本(売れなかったからもう絶版だろう)を共著で出した事が有る。 売春婦、売春夫がそれぞれ、その仕事について書いたものだった。 その内容は題名の通り、自分で選んだ、ということだ。 実に色々な人が居るのです。 「売る売らないはワタシが決める」という本も有ったっけ、、、。 古本屋さんに有るかも。
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