かわいひでとし日記
令和4年5月20日      上品な貧乏人のすすめ      下品な人間にならない
  

実は自分、結構なお坊ちゃま育ちだったりする。

え? こんな貧乏人が? と、自分でも思うが、ご幼少の頃は確かにお坊ちゃまだった。

なので、貧乏人には似つかわしくないような所が有ったりする。

でも、自分がお坊ちゃまだったのは10歳くらいまでだった。

立派なお屋敷から何から全部、父親が全財産を吹っ飛ばして破産してくれたおかげで急転直下貧乏人になったのだった。

お屋敷から一転、六畳一間のボロアパートになり、

自分は中学生から一人暮らしの自炊生活になり、高校生になってから働き始めた、

貧乏人まっしぐらの人生だった。

それでも三つ子の魂百までというのか、どこかおっとりしたお坊ちゃま気質が抜けずに生きてきたのだった。

カップラーメンを食うなんてぇのは、そんな下品なものを食べるのは良く無い、的な感覚が有ったりする。

ラーメンとライスを食うなんてのもだめ。

電車に乗る時は我先に車内に入って座ろうとするなんてのはもってのほか。

買い物をする時はなるべく金額が多くなるように気を使う。

劇場などの席を取る時は一番良い席を取る。

うな重を食う時は松竹梅があれば松を注文するのが店へのマナー。

などなど、およそ貧乏人とは真逆な感覚が今でも残っている。

子供の頃、店で物を買う時は、買う必要が有るものが1つだけだったとしても、

ついでにこれも頂きましょうと言って、いらんものも買うものだ、と教育された。

電車に乗る時は男は立っていなさい、と言われた。

食事をする時は、男は旨いとかまずいとか言わずに黙って出されたものを早く食べなさい

と言われた。これは武家の文化ですね。

ほんとに結構お坊ちゃまだったのだ。


ご幼少の頃からすでに何十年も経っているのにまだこういう感覚は残っている。


しかし最近、カップヌードルって、旨ぇなぁ、と思ったりする様になった。

ポイントを貯める様になった。

安いものを買う様になった。

節約する様になった。

貧乏生活の威力がやっと花開いてきたようだ。


しかし、いくら貧乏人でも、やっぱり下品な事をするのは良く無い。

お金がかからない範囲で上品でありたいものだと思う。

いや、そもそも上品とか下品と金銭は関係無いのだけれど。

ほんとに細かい、些細な事に出る上品さ、下品さ、というものには気を使いたいものだと思う。

ビルの入り口などに良く有る、ガラスのドア。

あのガラス部分に手をついて指紋をつけてしまう、なんていうのも些細だけれど下品なこと。

コロナでドアノブ触りたくないもん、とか思っても上品な人はガラスに指紋などつけない。

乗り物に乗るにしても、わたくしは一番最後で結構でございます、みなさまどうぞお座りくださいませ、なのだ。

物を買う時に値切るなどとんでもなくて、お店の人に喜んでもらえる様に少しでも金額が高くなるように気を使ったりするのだ。

こういうことは、見栄とは違う。

上品なお育ちの人特有のおっとりしたところ、欲が無いところ、金銭感覚の無さ、みたいな、にじみ出てくるものだと思う。

なので、見栄を張っているのとは違う。

そして、繰り返すけれど、お金持ちとか貧乏人とかとは全く関係が無い。

上品な人は上品だし、下品な人は下品なのだ。

多少でも気を付けてみたほうが良いのではないでしょうか。


親戚のおばさんに言われたことが有る、

お金の計算が出来ないのは、あんたのとこの家系なの、って。

ほんとに金銭感覚が無かったけれど、長い貧乏生活で随分金銭感覚が身に付いたと思う。

お金を節約する事は美徳ですね。

なのでみなさん、心は上品で、頭は貧乏人でいきましょう。


高須院長

今けーったよ

お辻さんの決断


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