かわいひでとし日記
令和5年1月26日      名は何と申す      公正な人
  

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」だったかなあ、(忘れた)

学校の先生をしている厳格な父親、息子が学校に入学してきて面接、という場面。

父 そのほう、名は何と申す、

息子 何言ってんだ、知ってるだろう

という場面が有った。

息子なんだから名前くらい知ってるけれど、他の生徒と同じに扱うということ。

役職についている人にはこういう厳格さを期待したいものだ。


というか、昔の日本人はみんなこうだったと思っていたが、どうなのだろうか。

少なくとも今の日本人にはがっかりする。

何をやっても全部金目当て、、、。

正義感とか責任感とかとは無縁になってしまっているのではないだろうか。

自分たちがやっている商売の利益になる様に発言をする。

それが国の有識者会議などに出ていたりする。

美辞麗句を並べ立てるが、結局は金目当てなのが悲しい。

太陽光発電はクリーンな再生可能エネルギーだから、と言いつつ、

実は儲かるからやっているだけで、実態は自然破壊有り、

汚職有り、廃棄方法が確立されていない、人権弾圧の奴隷労働で作られている、

夜や曇りの日は発電しないからバックアップの火力発電が必要、

などなど、本当に酷いものだ。

弱者救済を謳うNPO法人までみんな公金チューチューをしている。

そしてあの、子供の頃から良く知っていた赤い羽根共同募金まで、

あまりにも酷すぎる。

日本人はいつからこんな汚い人になってしまったのだろうか。


ビジネスには人脈が大事だと言うが、それも結局は汚職がらみ。

こういう事は頼む法も頼まれる方も、両方に責任が有る。

賄賂を貰わないまでも、良くしてもらって頼み込まれると結局優遇してしまう、

だらだらとそんな状態が続いてこの世の中が不正だらけになってしまう。


日本と外国のサッカーの国際試合などで、審判は第三国の人を選ぶものだが、

この試合を日本人審判が担当しても公平にジャッジするだろうという安心感が有った。

少なくとも昔は有った。

昔の日本人は厳格で公正だった、というのは幻想だったのだろうか。

まあ、不正をする人間はいつでも一定程度居るものだけれど、

最近はあまりにも酷いと感じる。


自分の息子が自分の会社に入ってきたら、

そのほう、名は何と申す、と聞いてほしい。

そして便所掃除をする一番下っ端から使って欲しいと思う。



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