令和2年7月5日 心がきれいな人々
目がきれいな人々
初めて会う知らない人同士が、道端で出会ってちょっと会話をする。
ひとしきり話をした後に、
「申し遅れましたが、私は○○町で小間物屋を営んでおります、○○と申します、
以後お見知りおきをお願いいたします」
なんて事を言い合ったりする。
歌舞伎を見ていると、こんな場面を見ることが良く有る。
今じゃあ個人情報がどーのこーのと言って、名前すら名乗りゃあしない。
あるいはこんな場面を見る事も良く有る。
ちょっと立ち話をして、何かを教えてもらったら、
「これは少ないんだけど、帰りにそばでも食べておくれ」なんて言って、心づけを渡したりする。
この場合、渡すほうも渡されるほうも、ものすごく素直な気持ちになっていないと難しいものだ。
こんなはした金渡しやがって失礼な奴だ、とか、
ちょっと教えただけなのに、何か下心が有るのではないか、とか、
そんな事は一切無しで、のっぺりと素直な心持ち同士で、
どうもありがとう、いえいえ、こちらこそどうもありがとう、
という気持ちでなければできないことだ。
というわけで、昔の人は素直だった、それが今じゃあひねくれちゃってどーしょもねえなあ、という話です。
ミャンマーから日本に来て勉強している学生と知り合いになった。
その二人、本当にきれいな目をしている。
そして、ものすごく素直で、人懐っこくて、心がきれいだなあと心底思う。
ちょっと距離のある路上で見かけると、自分からどんどん近づいて来て、
特に話が有るわけではないけれど、ただ単に並んで歩く為に近づいて来る、
なんだかもう、動物みたいに素直で人懐っこい。
特に話をするわけではないけれど、並んで歩きながら微笑んでしまう。
別にデキているわけではないのだ、それなのにこのなつっこさ。
動物の持っている長所まで兼ね備えている素敵な人たち。
ああ、人間ってこうでなくちゃあいけないよなあ、と心底思う。
そして、本当にキラキラ輝いている美しい目をしているのだ。
それに引き換え、今の日本人ときたら、、、、、と、やっぱり思ってしまうのだ。
そういえば、目がキラキラ輝いて美しい日本人って、あんまり見かけなくなったなあ。
日本人はどうしてこんなに性格が悪くなってしまったんだろう、と、良く考える。
やっぱり余裕が無いのかなあ、と思う。
余裕が無いからすぐキレたりするのではないだろうか。
余裕が無いから素直にありがとうございます、ごめんなさい、と言えないのではないだろうか。
お金が無い、時間が無い、部屋が狭い、イライラする、気分が悪い、むかつく、
と、本当に余裕が無いのではないだろうか。
けれど、ものすごく貧乏していたって、心の余裕は持てるものだ。
この場合、その貧乏の度合いが、限りなくゼロに近い貧乏なのか、マイナスになってしまっている貧乏なのか、その違いが大きいかもしれない。
借金など、支払いが多い貧乏というのは、心を荒れさせると思う。
それに引き換え、借金など無く、単に金が無いというだけの貧乏なら、心の余裕も持てるものだ。
あれこれ買って支払いが増えてしまうだの、見栄を張って高いものを買ってしまうだの、
お財布をマイナスにしてしまうと心の余裕が無くなるのではないだろうか。
もうちょっと素直になりたいですね。
自分は貧乏人なので、高い服は着られません、というシンプルなファッションはとても好感度が高いものです。
見栄を張らず、借金をせず、心の壁を取り払って、素直で人懐っこい、目がキラキラ輝く人間になりたいものですね。
ビョーキな人々
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