かわいひでとし日記
令和4年4月4日      叱らない大人たち      ワガママジコチュー製造社会
  
自分は昭和生まれの昭和育ち。

今になってみると、つくづく良い時代だったと思う。

災害もあまり無く、経済は右肩上がり、終身雇用で会社の人と親睦を保って、

社員が皆で協力して業績を上げていくような社会。

今と比べても仕方が無いのだけれど、ああいう時代だったからこそ、

人間が朗らかで明るくて、人懐っこくて、とても素直だった様に思う。


学校の先生には怖い先生が居て、悪い事をするとビンタをくらったりしたものだった。

親も厳しい人が居て、かなりきつく叱られる事も多かったと思う。

なので、叱られる事に慣れているというのか、叱られても反発するのではなく、

「自分が悪いんだな」と思う様なところが有った。


経済もあまり良く無く、災害も増えて、世の中が分断されている現在の世の中は、

なんだか悪い方悪い方へと向かっていく様に思う。


個性を大切にする、とか、少数意見を尊重するとか、個人の人格を尊重するとか、

それ自体は良い事なのだけれど、それだけ、そればかりになってしまっている様に思う。

権利が有れば義務が有る、というように、

二つセットにしていないといけないだろうと思うのに、

片方ばかり強調されてしまっている様に思う。

片方だけ協調され、その片方それ自体が唯一正しい事の様に褒めそやしてしまっている様に思う。

子供は褒めて育てる、などと言うけれど、それも、

叱る時と褒める時、二つがセットになっていなければならないと思う。

悪い事をしたら怖い先生にビンタされる恐怖というものも一面では必要なのではないだろうか。

先生も親も、子供に嫌われたくなくて、きつく叱らなくなってしまっているのではないだろうか。

叱らないどころか、あなたが正しい、あなたが一番偉い、

あなたは素晴らしいばかりで子供を育てても良いのだろうか、と思う。

その結果、自分が一番偉い、他人は自分に良くしてくれて当然、

自分を叱るなどもってのほか、という風になっていないだろうか。


意見されるとキレてしまう、クルマで追い越されただけでキレてしまう、

注意されると逆上する、自分が特別に一番偉いと思ってしまう。

そんな風になっていないでしょうか。


大人は子供に嫌われる事を恐れて何も注意しなくなっていないだろうか。

褒める事も大事だが、叱る事も大事で、

その両方をセットにしていないといけないのだろうと思う。


コロナで毎日毎日マスクをしているけれど、息苦しくてうっとうしくて、

さらに、マスクなんてしても本当に効果が有るのか疑問だったりもする。

それでも、まあ、仕方が無いと思って、外出先ではマスクをする。

みんなやっているから仕方が無いと思うのは一面では思考停止なのだけれど、

でも、公共の場では他の人たちに合わせようと思う様な、

一歩下がった考え方をしていないと、社会がどんどんツンケンしてしまうのだろうと思う。

店に入るのにマスクしてくださいと言われて逆上している人を見て、

ここに書いたような事を色々考えてしまいました。

みなさんどうでしょうか。





学校の先生と親は必ず

基本部分の欠落

正しいトラウマ

おそれいります


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