かわいひでとし日記
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令和2年7月18日      学力が有っても教養の無い人々      具象と抽象


IT企業の社員とかと話をすると、残念な気持ちになることが有る。

ああ、この人は学力は有るけれど、教養が無いなあ、なんて、

えらい失礼な事を思ってしまう。

学力が有るのに教養が無いって、どういうこと? と思ったあなたは、

きっと学力が有るのでしょう。



人が話をしているのを聞いていて、ああ、この人は教養が有る人だなあと思うのは、

どんな人の場合でしょうか。

学力が有って、まるで数式の様に論理的な話をする人は、

その話自体にケチをつける点は無いのだけれど、でも、何かが足りない、

と思う、その何かが教養なのでしょう。

教養とは何か、なんて事を書くとすれば本が一冊出来てしまうだろうし、

自分がそれを分かっている訳でもないので、ここに書くことはできません。



どういう人が教養が有る人なのでしょうか。

ああ、この人は教養が有る人だなあと思った時で、印象に残っているのは、

「古事記」を読んだときだった。

稗田阿礼さんだか誰だか知らないが、これを書いた人は本当に教養が有る人だなあと思った。

要するに、その人の思考の奥行なり行間なりがとても深くて広いのだ。



昔、歌舞伎座に行って席について、「筋書き」(いわゆるプログラムです)をパラパラとめくっていたら、石原慎太郎さんの文章が載っていた。

もうどこかへ行ってしまって見られないのだけれど、抽象を理解できるということはとても頭が良いのですよ、という様な事が書いてあった記憶が有る。

要するに、歌舞伎という演劇は抽象的な演技をする、それを見た観客は、頭の中で想像をするのです。

そして、その登場人物の気持ちがよ~く解って涙したり感動したりするのです。

では、最初からリアルな演技をして見せたらどうなのでしょう。

リアルな演技の場合、丁度、見る人のツボにハマればどんぴしゃり、感動できるでしょう。
でも、どんぴしゃりと来ない場合も多々ある。

それに比べて、抽象的な演技はそれを見た観客の頭の中で焦点が結ばれる。

だからリアルなものを見た時よりもずっと大きな感動を得られる。

抽象を理解する、というのはやっぱり教養が有るという事ではないでしょうか。


政治系のYoutubeを見ていて、色々な人が時事問題などを論じているけれど、

見ていてやっぱり、話に入っていけるのは、この人は教養が有るな、と思う人の話だ。

それで、どういう訳か、どちらかというと右寄りの人に教養を感じる事が多いのに、

左寄りの人に感じることはとても少ない。

dupes という単語を連想してしまう、、、、。

iyi(Intellectual Yet Idiot)という単語も連想してしまう、、、。



真っ暗闇の中に、ある物体が有るとします。

暗いので、その物体は全く見えません。

そこで、その物体のそばにろうそくを立てたとします。

ろうそくの明かりで、その物体のろうそく側の部分がぼんやり見えます。

そこで、反対側にもろうそくを立てます。

そうやって、物体の周りにたくさんろうそくを立てていくと、その物体が見える様になります。

けれど、それって見えるんでしょうか。

人間の目で見ると、一面しか見えていません。

移動して反対側も見ないと全体が見えません。

でも、一度に見る事が出来るのは一面だけです。

一面を見て、反対側に移動してから別の一面を見る事になります。

ということは、一面ずつ見て、それを頭の中で全体像として思い浮かべなければなりません。

その、頭の中で思い浮かべるのが教養ではないでしょうか。



テーマが深淵すぎて、今日はここまでしか書けません。というか、書く能力が有りません。

「教養」という暗黒の世界に有る物体のそばに何百本ものろうそくを立てないとその実態が見えてこないかもしれません。

今日、自分がここにかけたのは、ろうそく数本だけでした。

みなさん、教養について考えてみませんか?




映画の見方




 
 


 

 


 


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