かわいひでとし日記


 

令和2年1月27日.     モノを捨てる      モノに感謝


まだ使えるものを捨てるのは、非常に罪悪感を感じる。

新しいのが欲しい、という理由でまだ使えるものを捨てるのは、

わがままで、とてもいけない行いだ、と思ってしまう。

しかし、まだ使えると言っても、すっかり性能が落ちてしまったものは捨てて、新しいものに買い替える事も有るのだが、すっかり古くなっても性能に不満を感じなければ捨てるのに罪悪感を感じてしまう。

うちに有るもので、その代表選手が掃除機だ。

これは一体いつ買ったのだろうか、全く覚えていない。

相当古い事だけは確かだ。

掃除機は、あまりにも吸引力が強いと、かえって使いにくかったりするのだ。

普通にゴミや埃を吸っていてくれるこの掃除機に不満は無い。

だいぶ汚くなって来てはいるが、掃除機なんてものは、部屋に飾っておくわけでもなし、
汚くても問題無いのだ。

いや、最近は掃除機を飾っている人も増えた。

ダイソン、ど~よ、的な光景を見かける事が有る。


掃除機なんてものは、ただモーターが回るだけだから、故障するという事も無い。

モーターなんてものは、下手をすると人間より長生きだったりする。

古い町工場みたいなところについている換気扇、終戦直後から何十年も回り続けていても、

一度も故障などせずに回っていたりする。

モーターは人間より寿命が長いのだろう。




次がパソコン。

3台有るうちの1台は20年を超えているが、まだサクサク使える。

あとの2台も10年を超えている。

一番良く使うノートパソコン、最近重たくなって来た。

そろそろ買い替えようかと思ったりする。

パソコンを軽くするソフトというものが有るが、今まで何度か使った事が有るが、

殆ど役に立った覚えが無いので、やっぱり買い替えようかと思っている。


買い替えたとして、古いほうのパソコンは、というと、捨てるのが忍びない。

じゃあ、サブとして使おう、とか言うけれど、「サブ」を使った試しがない。

ノートパソコンだから、保管しておくのにスペースはかからないので、ただ保管しておくだけになるのだろう。


メーカーや販売店からすれば、さっさと買い替えて欲しいだろうが、まだ使えるのに捨てるのは、やっぱりいけない事だと思うのだ。


鞄と財布もボロくなってきた。

財布を買い替えるとろくな事が起こらないというジンクスが有って、

なかなか買い替える気になれない。

鞄もボロくなってきたが、このボロさがかっこいいのだ、と思ってみたら、

なんだかそんな気がしてきたので、まだ暫く使うだろう。



そして、長年使った羽毛布団がくたびれてしまったので、

捨てる事にした。

捨てるにあたり、神主さんを呼ぶのもなんなので、

感謝の言葉を書いた紙を一緒にゴミ袋に入れました。



こういうことをするのって、意味が有るんですよ。

どうしてかというと、神様は自分の心の中にいるから。

実際に紙に書いて、実際に入れるというのは、自分の心の中の神様にお祈りするということになるからです。


日本には、針供養だのなんだの、モノにも感謝する文化が有る。

そういう気持ちは大切にしたいと思う。

うちの掃除機がくたばったら、供養しようかと思うが、

多分、俺より長生きするのだろう。

 

パソコンは中古がいいね

っキュームクリーナーの謎

なんと安い

 


 
 


 

 


 


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