かわいひでとし日記


 

令和2年1月24日     
 『精神の風が粘土の上を吹いてこそ、人間は創られる』     
          
                                 硬直化した社会

頭で考えるのと、実際にやってみるのが違うのは、

有る程度生きた経験が有る人ならわかっていることだろう。

非常に緻密に考えられた設計図を基に、実際に工事をしてみれば、

設計図どおりにいかない事は多々有る。


システムを構築して業務をしてみると、現場では思い通りにならない事も多々有る。

なぜかと言えば、頭で考えるのと実際にやるのは違うからだ、



現場がうまくいっていないとの報告が上がると、ではどうしたら良いか考える。

対応策を決めて実施してもうまくはいかない。

では現場の意見を聞いてみることにするが、現場の意見を聞いても、それはちょっと無理だと却下してしまう。

なぜこうなるのかというと、答えは簡単で、考える人とやる人が違うからだ。

頭で考えるのと、実際にやるのとでは違う。

実際にやる人が考えることと、考えるために考える人が考える事は違う。


現場がうまくいかないので、対応策というタガをはめる、という事を繰り返しているうちに、 現場は硬直化してしまう。

安全対策と称して考えられたタガをはめる、効率化と称して考えられたタガをはめる、

こうして日本の企業は硬直化し、その硬直化を利用して既得権益化されてゆく。

がんじがらめになって身動きもとれず役所化してゆく、

今の日本経済が、日本の大企業が、新しいアイデアも生み出さずガチガチに固まってしまっているのは、こういう事ではないだろうか。

発注元の企業が受注企業に様々な条件をつけて硬直化させ、それをさらに様々な決まり事を作り、マニュアルを作り、様々な条件、制約をかけて下請け企業に出す。

その大元の発注元はさらに、官僚たちからがんじがらめにされている。

お役所様の言う事を良く聞く発注元として、硬直化し、既得権益化してしまう。

もうがんじがらめで、社会全体がお役所の様に決められた事以外は出来なくなってしまう。

「急いで仕事をする」という事すらできなくなってしまう。

なんでこんな事になってしまったのか、それは大企業のトップの顔を眺めてみるとそれだけで判ってしまうのではないだろうか。

業績が悪くなったら人員削減をする以外にアイデアが出てこない。

批判を恐れ、責任を回避する為に現場に様々なタガをはめてしまう。

リスクを恐れ、新しいことをしない。

頭だけでで考えた事を実際にやってしまう。


今の日本の経済を見ていると、このようながんじがらめと、それによる既得権益にあぐらをかいているだけのお役所企業の多さに愕然とする。

こういう場合はこうする、ああいう場合はああする、というセオリー、「知識」という思考停止によって、自分自身をがんじがらめにしていく。


昭和に居た「創業者」たちがやった様な柔軟で挑戦的で、現場感覚に基づいた企業経営はすっかり無くなってしまった。


この制約化、硬直化、思考停止化、既得権益化した社会をどうしたら良いのだろうか。

諸悪の根源は何だろうか。

それは、「学力」であったり、「大学」であったりするのではないだろうか。


「知識」を持っている事は能力ではない。

「知識」と「経験」が合わさって初めて能力になる。


企業はどうして、セクションに分かれているのだろうか。

経理は経理、企画は企画、営業は営業、と、なぜ分かれているのだろうか。

一人の社員がアイデアを考え、実験し、企画し、営業し、製造し、実施するという、
一人が最初から最後までやるのが理想ではないだろうか。

業種によって可能であれば、また、可能な限り「一人が全部やる」にしたらどうなのか。
効率化するために細分化した結果、非効率化してしまっている。

一見非効率的に見える「一人が全部やる」ほうが実際には仕事が早く進む上に、情熱が加わり、経験が蓄積され、効率化されるのではないだろうか。


さらに、諸悪の根源である「学業優秀」や「大卒」ではなく、高卒の有効活用が必要だと痛切に感じる。

様々な若い人間と接して来たが、大卒に比べ、高卒の人間は、「きちんとしている」「しっかりしている」「前に進む力が有る」「硬直化していない」という素晴らしい特徴が有ると思う。

それにくらべ、大卒は頭だけで考え、硬直化し、経験を積もうとはしない。


大企業はなぜ大卒ばかり採用するのだろう。

それは色々と想像がつくでしょう。


高卒にあと少しの知識を与える機会を作れば、もうそれだけで大卒など不要になるのではないか。

高校を4年制にするだけで大学は不要になる。

さらに言えば、世の中にいる人間の質を高めるには、ブルーカラーの仕事をしている人を重んじる事が必要だろうと、心底思うのだ。

知識で硬直化し、頭だけで考え、保身し、見下し、挑戦せず、さらに4年間のだらだら生活でぐうたら化してしまった人間よりも、遥かに優れた人間がたくさん居るのだ。

高卒に少しの知識を与え、体で考え、保身せず、挑戦し、見下さない人間たちに企業や経済を担って欲しいと強く思う。


世の中は、正しい人間がけん引していかなければならない。

正しい人間とは何か。

サン・テグジュペリ「人間の土地」の一節を紹介しようと思う。

彼が尊敬する先輩、アンリ・ギヨメについて語った一節だ。

ギヨメ君、きみは自分の敵に挑みかかるにあたって、いきなりまず相手を嘲笑したりする必要を感じたりする男ではない。
性質(たち)の悪い暴風雨(あらし)に直面した場合、きみは判断する。
「これは性質の悪い暴風雨だ」と。
きみはそれを正面から受けて立ち上げり、きみはそれを測る。


この日記の題名
『精神の風が粘土の上を吹いてこそ、人間は創られる』
もサン・テグジュペリの言葉です。

* 新潮文庫「人間の土地」 堀口大学 訳




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