かわいひでとし日記


 

令和元年12月14日      江戸の郊外      寒さが身に染みる


子供の頃、中目黒、という田舎に住んでいた。

大雨が降ると、目黒川が氾濫して、中目黒駅周辺は腰まで水につかってしまう事が良く有った。

小学校2年生まで中目黒に住んでいたのだけれど、家が破産して、殆ど畑しか無い練馬区に引っ越しをしたのだった。


中目黒駅からちょっと離れると、住宅街の間にところどころに原っぱが有った。

自分の家の隣は、元牧場だった家で、広大な原っぱが広がっていた。

草がぼうぼうに生えていたり、廃材が散らかっていたりしていた。

そこで秘密基地を作ったりして、良く遊んだものだった。

少し離れた場所にも広い広い空き地が有って、色々な冒険が出来た。

中目黒周辺は、さすがにもう畑は無かったけれど、

ちょっと足を延ばして世田谷へ行けば、 広い広い畑が広がっていた。


今でも、世田谷とか練馬と聞くと、土ぼこりが舞うイメージが浮かんでしまう。

でもまあ、東京23区と言っても、山手通りより外側は江戸ではないのだ。

世田谷も練馬も、今ではびっしり住宅が立ち並んでいるので、たまに行くとびっくりしてしまう。


同じく江戸の郊外、中野というところに有る病院へ検査に行った。

待ち時間が1時間半も有るというので、散歩に出た。

中野というところも、昔は犬が住んでいた所なのだが、

再開発で中野駅周辺はすっかり小ぎれいな街になった。

 



この整然としすぎた街並みを見ていると、実におもしろくない。

冬は余計に寒さが身に染みる。

町の一角に有る公園のベンチに座ってみたけれど、なんじゃこの公園は。

ただ寒いだけで何もなく、何も無いからと言って災害時の避難場所になるほどの広さも無い。

こんな所でどうやって遊ぶのだろうと思ってしまって、小さい頃の牧場跡地を懐かしく思い出したのでありました。



ところで、自分の父親は家が破産して練馬に引っ越したあと、さらに貧しくなって、

 今度は板橋区のボロいアパートに引っ越したのだった。

東上線の線路わきに立つ、6畳一間のボロいアパートだった。

 

その後自分はずっと五反田に住んでいた。

小さな会社を作って、その会社は原宿のほうに有った。

そして中野の病院に入院して、仕事を縮小、

今は、杉並区に住んでいる。

杉並も田舎だなあ、、、、。

だけど、安いスーパーとかいっぱい有って、貧乏人には暮らしやすい、、、、。

ということで、江戸の郊外を転々とする人生なのでありました。

 

 

人生の半分は失敗で出来ている

おもひでぼろぼろ

 
 


 

 


 


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