令和元年8月13日 人生の半分は失敗で出来ている
血筋
お金の計算が出来ない。
自分の家の血筋なのだそうだ。
そう言われて見ると確かにそうだ。
とにかく金銭感覚が無いというのか、欲が無いというのか、
計算が出来ないのだ。
自分の家は江戸の郊外に有る、目黒という村の大地主だったそうだ。
戦後になってもまだ、家の中に大人が何人も居るのに、誰も仕事をしていない様な家だったのだ。
広い庭の有る、立派なお屋敷に住んでいた。
お金の計算が出来ない分、おっとりしているというか、人が良いというか、そんな所が唯一の救いだ。
自分もご幼少の頃は、大変なお坊ちゃま育ちだった。
自分の父親もそれに輪をかけてお坊ちゃまだった。
自分のシュミで会社を作って、遊びなのか仕事なのか解らない様な事をしていた。
そのせいで、家屋敷を全部失って、6畳一間のアパート暮らしにまで落としてくれたのだった。
なので、自分は中学生の時からアパートで独り暮らしをしたのだった。
高校生の時にはもう働いていた。
父親に感謝しなければならないのだろうと思う。
それでも、三つ子の魂なんとやらで、年齢を重ねても、どこかお坊ちゃまな所が残っている。
実際にお金の計算が出来ないと思う。
それでも、色々揉まれて、だいぶマシにはなったと思うのだが、、、、。
もし、家が破産しないであのまま育っていたら、どんな人生になっていたのだろうと思う事が有る。
今とは全然違う人生になっていただろうが、どっちが良かったかは判らない。
しいて言えば、どっちも良くない、ということか、、、。
そう、人間って、半分なのだと思う。
こういう面が優れていれば、こういう面がダメ、になるので、完璧な人間などいないのだ。
だから完璧な人生など無いのだろうし、半分は失敗しながら生きるのだろうと思う。
中目黒には、今でも、自分の家の名前の付いた坂道が残っている。
親は有っても子は育つ?
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