令和元年8月4日 全日本エアロビクスコンテスト
個人部門出場
競技エアロをやっている人間にとって、「全日本エアロビクスコンテスト」は最大の大会だった。
参加人数が多いため、1次予選、2次予選、3次予選、決勝、と続く、過酷な大会だった。
東品川競技エアロ研究会のメンバーはだいたい、3次予選までは進めたけれど、決勝に残ることはあまり無かった。
この年、研究会のメンバーみんなでエントリーしたが、なんと、最年長のおっさんと、初めて参加した女の子が決勝に残ってしまったのだった。
決勝に残ると、個人演技をしなければならない。
初めての女の子は、演技を用意しておらず、友達から曲のテープを借りて、その場でテキトウに演技をしたのだった。
いい度胸しとるぜぇ、、、感心した。
でもこの二人、今良く見てみると、確かに体の使い方がとても良いのだ。
決勝に残っても不思議ではない感じがした。
このころの競技エアロは、大会によって違ってはいたけれど、だいたい、腕立て、腹筋、バランス、ハイキックが規定動作になっていた。
ハイキックは実に強度の高い運動だ。
見ていると楽そうに見えるけれど、かなり息が上がる。
予選は30分~40分のエクササイズをして、その中に規定動作が入る。
自分の足元に、汗で水たまりが出来てしまう。
このキツい運動を喜んでやっていたのだった。
とにかく、予選に出るのが楽しかった。
あの頃、衣装もみんな派手だった。
この年の大会、自分は3次予選まで行けたけれど、決勝には残れなかった。
でも、「コスチューム賞」を頂きました。
みんなから「鯖」と呼ばれた衣装でした。
エアロビクス
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