かわいひでとし日記
令和6年10月12日      文化を守る      多文化共生は難しい
  
明治時代の元勲たちが口を揃えて言った事は、

朝鮮半島の人達と日本人は違い過ぎて、あまり付き合わない方が日本の為だ、

という内容の事だ。

福沢諭吉は「朝鮮人との約束は無効と覚悟せよ」と言っていた。

顔は似ていても国民性が全然違うのだ。

日本では嘘を言うのは悪い事だが、彼らにとって嘘は自分を守る為の正義だったりする。

日本と言う国は2000年の間ずっと日本人しか居ない国だったが、韓国併合をきっかけに、

日本国内に日本人の他に朝鮮半島の人達も暮らすようになった。

なぜ韓国併合という事をしたのか、凄く簡単に言うと、

大韓帝国の王様が日本に対して併合して欲しい、と頼んできたのがそもそもの始まりだ。

一国の王様が自分の国を他国に合併して欲しいなどと言うなど、古今東西聞いた事が無い。

それほど当時の大韓帝国は国の体をなしていなかった。

日本は韓国を併合しても直接利益は無く、最初は反対意見が強かったが、

ロシアの南下を防ぐ為に李氏朝鮮や大韓帝国にはしっかりした独立国になって、

ロシアの南下を防ぐ防波堤になって欲しいと思っていた、という経緯が有る。

けれどそうはならなかったのだ。

ロシアの南下を防ぐという理由で結局朝鮮半島を併合する事になる。

その結果、現在「在日韓国人」などと呼ばれる朝鮮半島出身者の子孫が暮らすようになっている。

ここで一つ付け加えたいのは、戦後の日本の教育があまりにも自虐的で、

自国を誇りに思う事や自国の価値観に立った歴史を教えて来なかった為、

近代史を正しく理解していない若者が多いのだ。

学校の歴史の授業は4月に縄文時代から始まって、3学期になって漸く江戸時代が終わり、

近代史は結局殆ど触れずに終わってしまうと言われてきた。

これは意図的にそうしていた、という話も有る。

だから近現代史を正しく理解していない若者が多い。

韓国併合も、日本が武力で占領したかの様に思っている人まで居る。

この辺は自分でもしっかり勉強をしないといけない。


今考えると韓国併合がそもそもの間違いだったのだと思う。

文化が違う人が混ざると混乱が起こるのだ。

ずっと日本人しか居ない国だった日本は、摩擦や混乱とは無縁だったのだが、

これがきっかけで少しずつ日本の文化が壊れる様になった。

こういう話をすると、「差別」という言葉を使って批判をされる事が有るのだが、

日本人が日本の文化を守りたいと思うのは当然の事であるはずだ。

勿論それと同時に、韓国併合をした責任は日本にも有る訳で、差別が有ってはならないし、

日本国民と同様に保護しなければならない。

しかし、あまりにも文化が違うのだ。これが問題なのだ。

どちらかが良くてどちらかが悪い、という話では無く、「違う」という事が問題なのだ。

文化が違う民族が混在するのは現在の世界を見回しても不幸しか生んでいない。

分断、対立、混乱によって国が破壊されている例は欧米を見れば明らかだ。


現在の日本、あらゆるところに大陸や半島に出自を持つ人達が入って居て、

かなり強い影響力を持っている様に見える。

教育界、法曹界、マスコミ、政界などだ。

政党にも一体どこの国の利益を代弁しているのか、と思う所も有る。

れいわ新選組は北朝鮮に対する制裁などの決議の時に退出して棄権していると言う。

さらに、出所不明の匿名寄付の金額が一番多いのもれいわだ。

野党だけではなく自民党にもそういう議員が多く居る。

なぜここまで日本人を蔑ろにして大陸や半島に肩入れするのだろうか。

また、テレビ局には一体どこの国の放送局なのか、と思うほど日本を悪く言い、

半島文化を賞賛している所も有る。

テレビ局のディレクターの中の多くの人が日本人ではない所も有る。

それだけでなく、例えばマナー講師なども朝鮮式の礼儀作法を日本人に教えたりしている。

コンスと呼ばれる朝鮮式のお辞儀、これが驚くほど広まっていて、大手企業などでも採用されてしまっている。

このまま放っておけばそのうち、日本式のお辞儀は消えて無くなってしまうのではないか、

という危機感を覚える。

何故こんな事になってしまうのか、その一つの原因は戦後の日本での教育や家庭の躾けなどが原因とも言える。

きちんとした礼儀作法を教える事すら「軍国主義」などの言葉を使って忌避されてきてしまったのだ。

自分が子供の頃はまだ、礼をする時は中指をズボンの縫い目に合わせて姿勢を正してやりなさい、と教えられたものだった。

今でもきちんとこういうお辞儀をする子達もたくさん居る。

けれど、そういう伝統文化を教えない事が何故か「民主的」などと思い込まされ、

テキトウな事をする様になってしまったのだと思う。

一方在日の人達は文化的侵略を意図している人も居るかもしれないが、

特に悪意を持っている訳ではない人も多いと思う。

自分達の良い文化を劣っている日本人にも教えてあげるのに

何で文句を言われなければならないのか、

というのが正直な感覚なのかもしれない。

お互いに悪意が無くても結局は文化の違いが混乱や対立を起こしてしまう。

だから、人間は同じ文化の人が同じ国に住んでいるのが一番幸せな事なのだと思う。

これらの人達の影響は想像以上に大きい。

昔はパチンコ産業という巨大なものが有ったが、その多くが半島出身者の経営だったし、

今でも有る朝鮮総連という組織もあらゆるところに手を伸ばしている。

日本に敵対的な国である北朝鮮を支援する事になってしまっている組織で、

破産宣告が出来る状態であっても手を付けられないでいる。

こういうところに手を入れるのは、政治家などがかなりのリスクを負ってしまうのだろう。

在日の人たちの多くは特に悪意を持っていないかもしれないが、

大元のところでは日本を侵略するかの様な意図が有る事を感じざるを得ない。


さて、悪意が有るか無いかは別として、結果として日本国内では対立や混乱が起こっている。

政治の世界を見ていても、日本の政治家として日本人の為の政治をするのが

当然であるはずだが、実際にはそうはなっていない。

なぜか日本人を虐げて外国を優遇する政策が多く行われている。

こう言う事を正したいと思うと「差別」という言葉を使って批判される事が有るので、

面倒になってしまって何も言わなくなってしまう、という状況が長年続いてしまい、

どんどん日本が壊れている様に思う。

なぜ日本人から高い税金を取ってその金で外国人の生活保護をしたり、

外国人の留学生の生活費から学費まで面倒を見たり、

外国製の太陽光パネルや電気自動車に多額の補助をしたりしているのだろうか。

どうして大陸や半島と同じ夫婦別姓にしなければならないのだろうか。

日本には日本の文化が有るのだから、なぜそれを壊そうとするのか、

どうしても異文化の人達の影響を感じざるを得ないのだ。


こうして日本では、日本人を蔑ろにして外国人ばかりを優遇する政策が多くとられている。

結局それは、日本を破壊して侵略したい意図を持った人や

日本を食い物にしようとする意図を持った人が色々な所に入り込んでいる、

という事をどうしても感じるのだ。

政府の各種審議会の様な場所には大陸や半島だけでなく

欧米などの利益を代弁する人間が当たり前の様に入って居る。

日本の企業を虐める様な政策をしたり、その企業に対抗する外国企業を支援したり、

日本人の学生には借金を背負わせておいて、

外国人留学生には学費も生活費も面倒を見たりする。

殆ど日本人がおらず、外国人ばかりの学校に補助金を出している。

なぜこれほど日本人を虐めて外国を優先しているのだろうか。

日本を代表する企業であるトヨタにいちゃもんをつけて虐める一方で、

中国製が多い電気自動車に多額の補助金を出したりしている。


これは噂であって証拠は無いのだけれど、外国に支援する為の金を出す場合、

それをやった政治家にキックバックが有る、という話が有る。

日本はウクライナに対して既に1兆円もの金を出している。

ウクライナは支援しなければならないが、日本国民の生活よりも優先されるのはおかしい。

また、見ていて本当に不思議に思うのが埼玉県だ。

今問題になっているクルド人について、川口市長はとにかくクルド人を守ろうと必死になっている。

不法滞在をしている人に仕事や保険を与える為に陳情をしている。

その一方で外国人から被害を受けた住民が警察を呼ぶと、

面倒だから相手に謝ってください、などと言われる。

埼玉県警のトップである埼玉県知事は一体何を考えているのだろう。


欧米での移民による大混乱や日本でのこのような混乱を見ていて、つくづく思う事は、

同じ文化風習を持つ人は同じ国に住むべきで、混ざらない方が良いという事だ。

支援が必要なら日本に呼ぶのではなく、その国に対して支援をすれば良い。

ヨーロッパでは移民による混乱に対して大きな反動が起こっている。

イタリアのメローニ首相はとにかく不法移民を追い返すと言っている。

アメリカでもトランプは中国人留学生を退去させると言っている。

自分たちをまず守って、余裕が有れば外国にも親切にしたら良いのだ。

まずは自分を守る事が先だ。

結局混ざって住まないで、別の国として付き合う事が一番仲良くも出来るし、

幸せな事なのだと強く思う訳だ。


さて、半島の話を書いたので、最後にちょっとわき道にそれます。

「パッチギ」という映画を観た事が有るでしょうか。

かなり左寄りの監督が作った映画なのだけれど、自分にも覚えが有る、

在日と日本人の対立や友情を描いた映画だ。

自分が中学生の頃、同級生のツッパリが

「今日はチョンコーとケンカだ」などと言っていた。

今ではそんな言葉は使えないがあの当時、普通に使っていた言葉だった。

朝鮮高校のツッパリ生徒はえらく恐ろしいのが揃っていて、

日本人のツッパリとしょっちゅうケンカをしていたものだった。

「パッチギ」にはあの頃の雰囲気が良く出ていて、

「ちょん」とか「ちょっぱり」とか、今では差別用語と言われてしまう言葉も出て来る。

昔の事を知っている人間として、今見ると「昔はこうだった」と思って笑ってしまう。

当時の雰囲気をとても良く描いている映画なので、観てみてはいかがでしょうか。

韓国が大好きな人も、大嫌いな人も、まあ、仲良くせんといかんな、

という気持ちになれると思う。













ナショナリズム      ジョルジャとサナエ

マヌケな日本人      占領されるまで気付かない吞気さ

自分を守らなければ他人も守れない      まともな大人の方法




コメントなどはツイッターやメールでお願いします



@kawaihidetoshi をフォロー

 

日記のトップへ戻る

かわいひでとしホームページ

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 倫理・道徳へ
にほんブログ村