かわいひでとし日記
令和6年6月22日      人類の振り子 成長と衰退      日本の生きる道
  
人類の歴史上、衰退して滅んでいった国は多くの場合、

国民が働かなくなった

兵役を嫌がり軍事力が弱くなった

人口が減った

などが原因の様だ。

豊かになると国民が働かなくなる、キツい仕事を嫌がる様になる、

人々が楽しむために生きる様になり社会の継続に関心が無くなる、

という事なのだろう。

キツい仕事は移民を入れてやらせるようになると次には文化の破壊が起こる。

ローマ帝国でのゲルマン民族大移動の様な事だ。

現在欧米では移民による混乱が上限まで増え続け、

やっと反動が起ころうとしているところだ。

それを周回遅れで追いかけているのが日本。

既に欧米では反動が起こり始めているというのに、

日本ではこれから過去の欧米のマネをしようとしている。

これも怠惰から生まれるものなのだろう。

経営者たちは安い労働力を入れればそれで良いと思ってしまっている。

労働者はなるべく楽な仕事をしようとしている。

じゃあ移民を入れれば良い、という恐ろしく短絡的な考えになってしまう。

自分の事は自分でやらなければいけないのだ。

キツい事は他人にやらせて自分は楽をしようなどと思う事自体が間違っている。


若い人は実感が無いかもしれないが、自分の数十年の人生でも、

今と昔では全然違ってしまっている。

今はとにかく働かないし、前に向かって進もうという気概も無くなってしまっている。

これは豊かになるとどうしても起こる事で、仕方が無いのかもしれない。

貧しければ必死で働くものだからだ。

これは何も国民だけの責任ではなく、国民自体も、行政やビジネスの世界も、

みんなで一緒に怠惰になる力が働いたせいなのだろう。

社会というものは、ゆっくりと振り子運動をするものだ。

貧しいから必死で働く、豊かになる、豊かになると働かなくなる。

価値観の推移も同時に起こる、勤勉は美徳だった時代が過ぎ、

働く事自体が蔑まされてしまう様になる、するとまた貧しくなる、

貧しくなるとまた働く様になる。

価値観自体が100年くらいの単位で振り子の様に揺れ動くのだろう。


さて、今の日本、このままでは衰退するばかりだから危機感を持て、と言ったところで、

誰もそれを現実的に考えない。

落ちる所まで落ちてからやっと反動が起きるのだろうと思う。

シナリオ通りにしかならないという事だ。


経営者も政治に関わる人間も、みんなが自分の任期中だけ無事に済めばそれで良いと思ってしまっている。

この無責任体質も、落ちるところまで落ちないと改善はされないのだろう。


自分が生きている間だけの、自分の利益だけしか頭に無い人間ばかりになれば、

必ず衰退が起こる。しかしそれが起こるのは自分が死んだ後だから自分には関係ないと思ってしまう。

貧しい時と豊かになりすぎた時では驚くほど考え方にも違いが出て来る。

貧しい時は自分の為にも、そして愛する人の為にも頑張ろうと思うものだ。

けれど、豊かになりすぎると、そもそも自分の為に生きなければ何の意味が有るのかと考える。

貧しい時は時間の連続が有る。

自分が頑張って自分も、自分の子供たちも幸せにしようと思うものだ。

豊かになりすぎると時間が区切られてしまう。

とにかく自分が楽にならなければどうにもならない、としか考えなくなる。

豊かになりすぎた人間の怠惰というものは、なんという無責任、

なんという独善だろうか。


GDPが世界第2位だった日本は今、ドイツに抜かれ、インドに抜かれ、

どんどん順位を下げようとしている。

これはどうしたら良いかというと、何を言っても無駄で、

落ちる所まで落ちないと反動は起きないのだろう。

ただ、このシナリオ通りで進むものとして、別の考えも浮かんで来る。

あまり働かない人々、のんきな人々、怠惰な人々によって作られるかもしれない、

新しい価値だ。

それは例えば、芸術先進国になる、道徳先進国になる、

金銭的に豊かになる事よりももっと本当の幸せが有るのだ、

という新しい価値観の先進国になる、という様な事だ。

そうであれば、教育の重大さがさらに増して来る。

学力よりも道徳を重んじる教育であったり、学力よりも教養を重んじる教育であったり、

或いはまた、自由になりすぎた事への反動として、

社会の規律を重んじる教育であったりするのではないだろうか。


子供の頃、「塗り絵」というものが有った。

黒い線で輪郭だけが書かれているところに色を塗ってゆくのだ。

考えて見れば「型にはまり過ぎた無個性な教育方法」と言えるかもしれない。

けれど、塗り絵をさせず、自由に絵を描かせるだけで本当に良いものなのかどうか、

きちんと区切られた線の中だけに色を塗る、という規律を守る考え方、

そんな事も考えて見る必要が有ると思う。


これからの日本に一番重要な事は国民の教養を高める事なのだろう。

学力ではなく教養、学力ではなく道徳心、

また逆に、自由過ぎるのではなく規律を重んじるという価値観も重要なのだろうと思う。

そして人口減少も逆手にとって、人口8千万でも豊かになれる方法を見つけてゆく必要も有る。

とにかく人間は豊かになって自由になれば衰退するのだ。

ゆっくりと本当の日本の価値、というものについて考えて見る必要が有る。

その為にはとにもかくにも、古典的な道徳心が必要になるのではないだろうか。



さて、昨年公開された東宝の映画「ゴジラ-1.0」が世界的な興行成績を収め、

その評価は驚くほど非常に高いものを得ている。

「面白い映画というのは、こうやって作るのですよ」というお手本を世界に示した

と言えると思う。

思い起こせば「面白い映画のお手本」を世界に示したのはかつて、黒澤明監督だった。

世界の映画界にとてつもない影響を与えた。本当に重大な影響を与えたのだった。

それがまた今回、山崎貴監督によって新たなお手本が示されたのだ。

この映画への高い評価と同時に良く言われるのが、今までのハリウッド映画への批判だ。

「ハリウッドは映画の作り方を日本から習うべきだ」という批判が聞かれた。

こういう力を付けてゆくのも、これから日本が生きる道の一つなのではないだろうか。

だからと言って、何でも新しければ良いと思ってしまったり、

超個性的であったりするのではなく、普遍的な人類の価値観を踏まえた上での

新しい芸術や新しい社会というものを作れる力を持つ事が大事になって来る。

普遍的な人類の価値観を踏まえた上での考え、これこそ「教養」というものだ。

黒澤明監督があれほどの名作映画を作れたのも、

400年に渡って日本で培われてきた大衆演劇、歌舞伎の下地が有ったからこそだと思う。


山崎監督の脚本は本当に教養の有る内容だ。

普遍的な価値観を踏まえた上での新しい技術を駆使した映像で、世界中の人を魅了した。

この映画を観た海外の人のレビューをたくさん読んだが、実に興味深いものだった。

そもそも日本があの戦争で、原爆以外にも多くの都市が焼け野原になった事すら

知らない人が多いのにも驚かされた。

また、カミカゼパイロットというのは、軍国主義原理主義的な狂信的な人間だと

思っていたのに、普通の青年だったのだと初めて知った、という人も多かった。

「国を守る」という当たり前の事を単純に「軍国主義」と決めてかかってしまった

日本の戦後の教育がいかに世界から見て異質なものなのかも思い知らされた。

どこの国でも、愛する人の為に国を守るのは当然の事なのだ。

そんな「ゴジラ-1.0」を観た海外のニキたちのリアクションビデオがたくさんアップされている。

これからの日本はこういうものを世界に売っていくべきなのだ、と強く感じる。

https://www.youtube.com/watch?v=m6cRFXmr5a8




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