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令和5年8月12日. 知らない事は恥ではないが ワンクッション入れないのが恥 |
人間は誰でも、なんでもかんでも全部知っている訳ではない。 知らない事だってたくさん有る。 え? そんな事も知らないの? と言われる様な事も有る。 でも人によって知っている事、知らない事は色々だ。 だから知らない事は別に恥ではない。 恥では無いが、知らないまま進んでしまうのが恥なのだ。 良く知らないのに他人を批判する、という事は、ツイッターを見ていると良く有る。 知らないのだから仕方が無いが、その直後、 これは何か事情が有るのだろうか、自分が知らない事が有るのだろうか、 などとワンクッション入れずに批判に突き進んでしまう所が恥ずかしいところだ。 この、ワンクッション入れる、という思考は、色々な面でアフォと利口を分ける。 こうしたらどう思われるだろうか、とか、 こうしたらどうなるだろうか、とか、 こう言ったらどう思われるだろうか、とか、 アホだなと思うけれど、自分には解らない何か事情が有るのだろうか、とか、 そういうワンクッションを入れられないのは恥ずかしい事だ。 それを省略して、「バカじゃねーの?」と言ってしまう事が恥ずかしい。 これは自分は良いと思うけれど、他の人はどう思うだろう、と言う様な、 ワンクッション入れる思考が出来ないと恥ずかしい事になる。 その事自体が良いか悪いかは別として、別の考え方をする人も居るのだろう、 という事に思考が及べば、他人を全否定してバカ呼ばわりしたりせずに済む。 スーツでの作法を知らないまま批判してしまった例 昔は左利きを右利きに矯正される事も多かった事を知って居れば、そう思う人も居るんだな、と解るというもの。 国家とは領土と国民と主権の事だという事を知らないまま批判してしまった ちょっと話は逸れるが、知る知らないではなく、価値観の違いなどもそうだ。 これに賛同する人はあまり多くないとは思う。 なぜかというと、非常に部分的な、小さな美意識について、だからだ。 全体で見れば小さな事だからだ。 ただ、その小さい部分をもう一度思い出してみても悪くはないだろう。 中にはそう思う人も居るんだな、という事を知っても損は無い。 そういうワンクッションを入れれば全否定の様なキツい言い方をしなくても済む なぜ日本では今でも現金払いが多いのだろうか、 と考えるとすぐ思い当たるのは、 きちんとした人達、だからではないだろうか。 勿論キャッシュレスのメリットは多いし、現金払いのデメリットも多い。 ものを買うにはお金を払うもの、お金とは現金だと思って来た、 だから現金を使うという感覚。 現にそこにきちんと有るもの、目に見えない所に有るものではないもの、 という意味で現金が一番真っ当な方法と思ってしまうのだろう。 むしろ、自分の手の届かない見えない所に有るものを全面的に信用しない様な、 きちんとした態度とも言えるのではなかろうか。 非常に小さい部分の小さい美意識だろうが、 きちんとした人だからこそ持つ感覚なのだろうと思う。 日本人はタトゥーを嫌う人が多い。 歴史的な意味では罪人などのイメージが付きまとう事と、 親からもらった身体に傷をつけるのは良くないという感覚。 整形や性転換手術などを気軽にやらない。 予期せぬトラブルが起こるかもしれない不安を持つ感覚。 自分の身体を人工的に改造する不快感。 八重歯をチャームポイントと考える。 ありのままを美しいと思う感覚。 などなど、そう思う人も居るのだな、 くらいに知っておけばキツい言い方にならずに済む。 未だに現金を使っててバカじゃねーの? とか、 未だにタトゥーを嫌うという古臭い感覚、とか言う前に、 ワンクッション入れて考えれば物言いも柔らかくなるのだろうと思う。 他人を全否定する強い言い方をするよりも、 両方の意見を並べて比較する穏やかな言い方のほうが、 言っている自分への評価も高いもの。 まあ、そんな感じで、みんないきり立たないで穏やかにいきましょう。 ![]() 心が動く生活 「で?結局結論は?」の弊害 自分が得をする態度 人間は神様じゃない 責任を俯瞰できるか ざまあみろと思う人々 |
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