2000年8月1日 朝日新聞 「ティーンズメール」 ピーコさん

人に内面をさらけだすのはとても難しい。私もそう。でも自分から心を開こうとしないと、相手には通じない。だから一生懸命になるの。
 それにしても、十代の人達の人間関係の悩みを読んでると、「親友」の概念が、自分勝手じゃないかと思うの。
「自分を出せる親友」がいるとあなたはいうけど、もしかしたら、相手はあなたのことを親友と思っていないんじゃないかしら。ちょっと汚い例えだけど、あなたは親友を「タンつぼ」がわりにしてないかしら。都合のいい時にずうずうしく吐き出すだけ。相手はいい迷惑かもよ。
 私は親友って、「自分が言いたいことを言える人」ではなくて、「この人のためならなんでもしてあげられる、と思える人」のことだと思う。あなたは人間関係に見返りを求めるから、人を恐いと思うんじゃないかしら。「相手が何もしてくれなかった時にみじめになる自分がかわいそう」と思っていませんか。みじめな自分を嫌だと思っていませんか。
 人には必ず欠点が有るの。完璧な人なんていないんだから。親や先生を見ればわかるでしょ。なのに若い人たちは完璧な人と完璧な人間関係を築きたい、と思ってるのよね。そんなの無理。不完全な人間どうしがお互いを認め合って世の中は成り立ってきたのよ。「相手のいやな部分も認められる自分」に気づいたら、きっといっぺんに自分を好きになれると思うけどな。

あのねぇ、ネットやってて感じる事のひとつに、こんなのがあります。

例えば掲示板。「恋人募集!」とか「メル友募集!」とか、そういう掲示板への書き込みを読んでいると、「背が高くて優しくて、人を裏切らない人」とか、「タバコを吸わない人」とか、恋人になって欲しい人の「条件」みたいなのが色々並んでいるんですよね。まあねぇ、予め自分の希望として書いただけだよん、って事なんでしょうから別にいいって言えばいいんですが、、、。そりゃあね、こういう人はどうしても生理的に苦手なんだとか、なんだとか、色々有るでしょうよ。そういう事も有りますよ、有るのは解ってますけどね、、。

「メルとも募集!」なんて場合でも同じ様な感じで色々書いて有るんですね。

元々は、一番はじめは、そもそもは、こんなはずじゃなかったんだろうとは思うんですけど、でも、いつもこうやって「募集中!」やってると、いつのまにかわけわかんなくなって来ちゃってるのかな、って思う事も有るんですよね。
予め「恋人」とか「ともだち」という「空席」が有って、そこに入ってくれる人を募集してやしないかい?って思うんです。
 良く耳にしますよね。「あー、恋人欲しい!」って。
でもさあ、そこに空席が有って、その椅子はとても脚が長くて脚の長い人じゃないと座れない椅子になっていたり、何キロ以上体重が有ると壊れちゃう椅子になっていたりするんでないのかい? 今は例え話だから身長体重っていうカラダの事を書いたけれど、「性格」とか人間性とかも、ある特定の人にしか座れない椅子を用意しているみたいな感じがするんだよね。

でも、振り返って考えてみたら「なんでこんな人好きになったんだろう」なんて事も有ったと思うし、全然好きなタイプとは違う人を好きになってしまった事も有ると思うんだよね。

それから、めるともになりましょうっていう場合。
「是非友達になって下さい」というメールを頂く事が有るのだけれど、「友達になりましょう」「はい、そうですね、じゃあ友達になりましょう」ってぇものじゃあないわけですよね?
メールを貰って、そこに自己紹介が書いて有った。それを読んでみたら、なんだか気になった、気が合いそうな気がした、だから自分の自己紹介や気が合いそうな事について書いた返事を出した。そしたら話が弾んだ、会ってみたいと思う様になった。みたいな感じで、なろうと思ってなるんじゃなくて、自然に友達になるもんですよね?

こうやって言葉で書いてみれば、「そんなの解ってるよん」と言うのでしょうか。でも、本当に本当に、「友達になってください」と言えば、自分好みの友達になってくれる相手が現れると思っていないか点検してみて?

○○な人はごめんなさい、○○な人は1次審査で落とします。それを通った人の中から空席にぴったり合った恋人を見つけます、って思っていないか点検してみて?

 

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