かわいひでとし日記
令和5年4月20日      テロリストと報道と償い      情緒と混ぜるな危険
  
思想信条が違うという理由で殺人を犯すというのは、

絶対に否定されるべき事だ。

とは言っても、例えば独裁専制主義の政府を転覆させる為のクーデターを起こすなら、

正しい事と言われたりもする。

だけれど、一応民主的な自由主義社会でテロは完全に否定される。


殺人にも色々有って、多少同情する様な事例も有る事は有る。

だが殺人なのだ。

その人の人生を一瞬で終わらせてしまうのだ。

なので殺人をしたら死刑でも当然、というのは基本的には当たり前の事だ。

しかし若さゆえ、判断力が未熟だったゆえの殺人というものも有るので、

更生の可能性が有るならば死刑にしないのも同意する。

要するに、他人を殺したのなら自分の命で償うのが当然、ということが大前提で、

ただこの場合、同情の余地も有る、というのなら考慮すべき、ということ。


要するに大前提は社会のみんなが同意して尊重しなければならない。

特に考慮が必要な例外が有ればそれはプラスアルファとして考えても良い、

という事だろうと思う。


だが基本的には、殺人、テロは完全に否定されるべきだ。

テロ犯人の家庭環境とか同情する余地とかを情緒たっぷりに報道するのは、

やはり間違っていると思う。

重信房子というテロ犯が出所し、左翼系の人たちが重信房子を歓迎し、持ち上げた事が有った。

テロリストを賞賛するのか、と批判された。

そうとも言えるが、彼女の場合刑期を勤めて出所した訳で、もう犯罪者では無い。

だからテロリストと批判するのは間違っている。

けれど、出所後の発言を聞いていると、

テロを否定せずに肯定するかの様な発言も聞かれ、ちょっと難しい気持ちにはなる。


テロ犯人が安倍晋三さんを殺したので、

また、イケメンだったので「かわいそう」とか「応援する」とか言う人達が居た。

これは完全にアウトだと思う。

思想信条の違いで人を殺してはいけないし、

自分が嫌いな人を殺した犯人を賞賛してはいけないし、

ましてやイケメンだから擁護するなど、とんでもない話だ。

殺人を犯した者は相当の刑罰を受けるのが当然で、

刑を全うするまで擁護するべきでは無いと思う。


不法滞在の外国人を強制送還する法律が成立しようとしている。

それに反対する人たちが居る。

そもそも「不法」滞在なのだから強制送還されるのは当たり前の話だ。

単にかわいそうだから、などという理由で擁護するのは間違っている。

申請を繰り返して長期間にわたり不法滞在を続け、その間に犯罪を犯す、

というのは、擁護すべきではない。

しかし、中には同情すべき事例も有る。

不法滞在者の夫婦間に生まれた子供、日本生まれの日本育ち、

母国の言葉もしゃべれない、となればこれは同情の余地も有るのではないだろうか。

この悲劇も、そもそも親が不法滞在しなければ良かった事なのだ。

「不法」なのだから法に従わなくてはならないのは原則だ。


かわいそうとかイケメンとか、情緒と法を混同しないほうが良い。

法を犯した者に「人権」などと言いすぎるのは良くない。

特に同情する余地が有る場合は考慮が必要だが、

法はきっちり守って、きっちり償ってもらうべきだ。

ニュージーランドの首相が言った言葉が有る。

テロリストには名前すら与えてはならない、と。

全くその通りで、殺人という行為に対しては全面的に否定するべき。

情緒を混ぜて報道したり発言したりしてはいけないのだ。

それが大前提だ。


大前提として、人を殺してはいけないのだ。

だから、武器や爆弾、凶器などを持って向かってくる者に対しては、

現場で警官が射殺する事をもう少し積極的にしたらどうなのか、と思う。

海外では割と当たり前の事の様だ。

日本はまだ死刑制度が有り、海外では死刑が廃止されている、

というが、海外では現場で射殺されていたりする。

犠牲者が出る前に射殺する、というのも必要な事だと思う。

とにかく法は守るのが原則。

不法ならそれなりに処罰等されるのが原則。

その上で特に同情の余地が有る場合のみ、考慮する事も必要、という、

これまたやっぱり、ごく当たり前の結論になる。

法は法、情緒は別の問題、混ぜるのは危険だ。


法政大学は学生を守る為にも殺人を肯定した教授をクビにするべき。




親と先生たちに

思い込みの激しい人々

言論の自由と嘘


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