かわいひでとし日記
令和5年1月2日      春な忘れそ      残った梅の木

  
鎌倉殿の13人で源実朝が暗殺される場面を見た。

そして実朝の歌が流れた。

出でて去なば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな

自分が暗殺される事を覚悟して歌った歌。

この家から自分が居なくなっても、庭にある梅の木よ、

春になったらまた花を咲かせて欲しい

という、悲しい歌。

この歌は、菅原道真の

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

から本歌取りしたものだと言う。

実朝も道真も不幸な最後を迎えた人たちだ。

自分が居なくなった後、自分が愛でていた梅の花がひっそりと咲く、という風景。

なんという悲しい情景でしょう。


昔、高校生の頃、「愛情物語」という映画を観たのを覚えている。

ピアニストの父親が息子にピアノを教え、息子が成長してゆく。

2人で2台のピアノを弾くシーン。

曲が進んでカメラが動くと、父親が座っていた椅子が空席になっていて、

息子が大人になっている、というシーン。

そのシーンを見て、もう口がきけなくなる程の心の動揺を受けてしまって、

映画が終わってからもずっと黙りこくってしまったのだった。

一緒に映画を観た彼女が「いつまで感動しとんのじゃ」と言う感じで、

怒ってしまったのだった。


愛する人や大事な人が死んで居なくなる、という事を、空席の椅子や、

主のいない家の梅の木で表現する、

というのは感動を通り越してショッキングなほどの心の動揺を引き起こす。


冒頭の歌を現代語に直訳してみると、

出て行って空き家になった家の軒の下の梅の木は春が来るのを忘れてはいけない

という事になるが、歌、俳句、ポエムというものはなんと素晴らしいのだろう、

と思わずにはいられない。

自分が死ぬ、とも、寂しいとも何とも言っていないのに、

洪水の様に気持ちが押し寄せて来て、

その情景が頭に浮かんで、心の動揺メーターが振り切れてしまうのだ。

主が(暗殺されて)不在となった家の庭の梅の木が、

次の春にひっそりと花を咲かせている情景というのは、

本当に心が揺さぶられる。

ちょっと耐えられないくらい揺さぶられるのだ。




そして、「本歌取り」というオマージュ。

これがさらに心を揺すぶる。

映画などでも良く有る手法だ。

名作映画などの有名なシーンをオマージュしたシーンを見る事が時々ある。

あの時のあれと同じ気持ちなんだよ、という感情。

本当にメーターが振り切れてしまうのだ。



たった31文字の詩を読んで、これほど涙があふれてしまうのは、

一体どういう事なのだろう。

こんな素敵な詩が有る国に生まれて、本当に幸せな事だと思う。




鎌倉殿の13人がおもしろすぎる

良質なコンテンツ

茫然自失      立ち上がれなくなった映画


コメントなどはツイッターやメールでお願いします



@kawaihidetoshi をフォロー

 

日記のトップへ戻る

かわいひでとしホームページ

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村