かわいひでとし日記
令和4年12月4日      性格が悪い被害者      共感できるかできないか
  


ニュースで報じられる何かの事件を見て、

逆に加害者が気の毒に思う事が有る。

相手が逆上する様な事を言ったりやったりしたからなのではないか、

と思ってしまう事が良く有る。

最近はSNSなどでも良く、「被害者ポジション」などと言われる事例が良く有る。

この「被害者」は嘘を言っているのではないかと思う事も良く有る。

私は不幸なんです、だから私に味方してくださいと、偏った主張を通そうとする事も有る。



いつも通る道に喫煙所が有る。

そこに張り紙されていた。

灰皿に「迷惑です」と書かれた紙が貼られている写真で、

「警察に通報しました」と書かれていた。

確かに他人の物に勝手にそういうことをしてはいけないと思う。

迷惑なら直接会って話をしなくてはいけない。

タバコは悪である、という前提に立った誤った正義感なのだろうと思う。


ある女性の評論家が「こんな化石の様な人が」と、他人を批判している記事を読んだ。

どっちが正しいとか言う以前に、他人を全否定する事にむしろ違和感を覚えた。

タバコは悪である、だからタバコを吸う人間を懲らしめても良い、

というのはなんだかイヤな態度だ。

タバコを止めるのはとても大変だと言う事は聞いた事が有るだろうと思う。

中毒だから大変なのだ。

ではなぜタバコを吸うのかというと、ほんの20年くらい前までは吸うのが当たり前だったからだ。

タバコを吸わないと言うと驚かれるくらい、吸うのが当たり前の世の中を生きてきた人なのだ。

それを全否定するのはやはり偏狭だと思う。



化石燃料を使うのは悪である、

だから美術館で絵画にジュースをぶっかけても良いと思ってしまう、

稚拙な自己満足もイヤだ。

牛を殺して食っている人間がクジラを食うのは野蛮だと言って、

暴力をふるうのもおかしい。



結局、一番思うのは、

どうしてそんなに、自分が一番偉いと思ってしまうのだろうか、

ということだ。

自分の意見が誰が見ても完全に正義で有ったとしても、

相手の存在を全否定してしまう不遜さは全く好きになれない。

正義を謳うなら、まず自分の性格を直してからにして欲しい。


いくら正しい事を言っても、イヤな奴だったらダメだ。

多少間違っていても共感出来る人でありたいと思う。





抗議行動の疑問

憎しむ人々

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夫婦別姓とかフェミニズムとか

冷たい全否定

人とつきあうということなんだね

ツンケンする人々


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