令和4年10月7日. ちょっとの気力 ダルい人々 |
夜中に司馬遼太郎を読んでいて、登場人物が寺の境内で握り飯を食う場面が有った。 読んでいたらなんだか無性におにぎりを食いたくなってしまった。 炊き立てのご飯で握った塩おにぎり。 この場合はすぐにコンビニに行っておにぎりでも買うのでしょうが、 自分はどうしたかと言うと、真夜中にすぐにご飯を炊いておにぎりを作りました。 炊き立てのご飯で作ったおにぎりが食いたかったので。 コンビニに行くか炊くかの違いは、やり慣れているかどうかの違いかもしれません。 自分は中学生の時から一人暮らしの自炊生活をしてきたので、 かなりやり慣れているのでした。 えー?、めんどいじゃん、と思ってしまう事でも、やり慣れているとハードルが下がる。 今日はなんだかダルいから、ジム行くの止めようかな、なんて思う時でも、 しっかり通ってトレーニングの習慣がしっかりついている人なら、 ちょっとくらいダルくても、えいっ!と気合を入れてさっとジムに行くものです。 新宿から千駄ヶ谷に行くのに、いちいち電車に乗るのはアホくさい。 地下道をずっと歩いて階段を昇って降りてまた昇って電車を待って乗って、 駅で降りたらまた階段を降りて、というアホくさい事をするより 歩いたほうが早えーや、と思って歩く。 ちょっとくらいの距離で時間に余裕が有るなら電車に乗るより歩いたほうが良い、 と思う場合も、やっぱり歩き慣れていたり、体力が充実したりしていれば実行するんですね。 色んな事を一生懸命やっていると、色々な事のハードルが下がって、 その都度気力が出て実行できるものだと思います。 今日は雨降ってるからめんどい、とか、なんかダルいからイヤだ、とか、 そういう小さな積み重ねが大きな損になるのだと思います。 毎日一生懸命生きて、色々な事のハードルを下げて、 興味が無い事でもやってみたり、他人に付き合ってやってみたり、 色々な事のハードルを下げてゆく。 その都度ちょっとした気力を出せる生き方が出来れば、 人生にとっても大きなプラスになるのだと思います。 めんどくさい、とか、ダルい、興味無い、つまんなそう、 とかを、やらない理由から排除すれば、 きっと明るい未来が待っている、かも? 自分は子供の頃、電車に乗る時に、「男は立っていなさい」と教えられて育ったもので、 この歳になった今でも電車に乗って座るのは罪悪感が有ります。 (乗車30分以内なら、です) (黄色い電車で荻窪から千葉まで行くなら座ります) んでも、仕事で疲れての帰り道、座りたいと思う事も有ります。 いや、でも、立っていよう、と思う時はちょっとした気力が有る時なのだと思います。 ちょっとした気力があれば、その日はきっと有意義な一日になるのだろうと思います。 そして、夜はぐっすり眠れるのです。 |
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