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令和4年9月26日 一定の理解 国葬の論点 |
法政大学法学部教授の山口二郎という人について、良い印象を持った事が無かった。 というか、嫌いだった。目つきが悪すぎる。 なので、山口さんの書いたものを読む気も起らず、殆ど読んだことが無い。 自分が知っている彼の有名な言葉は、安倍晋三氏に対して 「お前は人間じゃない、叩き切ってやる」。 民主党などの左系の政党のブレーンなどをしている活動家でも有る。 時々ヤフーニュースなどに、ハンギョレ新聞の山口氏の記事が出る事が有る。 そういう時は不快感を抑えながら読んでみたりもする。 というのは、左翼の政党などがどうしてこれに反対するのか、 意味が解らないので説明を聞いてみたい、といつも思うから。 なるほど、そういう事で反対しているのか、と納得できるものが有れば、 と思って読んでみるが、 左寄りの人達の言う事の多くは感情論の様なあまり論理的ではない事が多く、 また、嘘を元にしている事も多いので、納得した事は無い。 今日出ていた、やはりハンギョレ新聞の記事、 [山口二郎コラム]安倍元首相の国葬を考える を読んでみた。 読んでみて、事実関係があやふやな事を指摘していたりするのはいつもの事だけれど、 大変失礼ながら、へぇ、山口さんでも、多少は成長したんだねぇ、と思った部分が有った。 若い頃は共和制論者だったそうだが、年齢を重ねるうちに、 君主制にも一定の理解をする様になった、と書いて有った。 人間は皆平等なのだから君主制はおかしい、という固定した枠から一歩踏み出したらしい。 人間には理屈で割り切れない部分もあるのかと思う。 と、書いている。 そして、無私の心を持った君主というものは、俗人とは違う徳を持っていて、 人間社会にとってはある程度有意義なものだと思った、という事だ。 人間も社会も理屈通りには行かない。 何故かは良く解らないけれど、それが有る事で落ち着きを得る、と言う様な事は多々有る。 こういう、論理では割り切れないない考えは、 年齢を重ねないとなかなか持てるものでは無いのだろうと思う。 山口さんはこの記事の後半で、 無私の徳が有る天皇であれば国葬は当然だが、 俗人で有る安倍氏は国葬には向かない、という事を書いている。 俗人であっても、私利私欲ではなく国の為に大きな働きをした人なら、 国葬にしても当然とは思うが、俗人には必ず反対派というものが居る。 だから難しいのだろう。 政治家に対する評価は多分に主観が入り、人によって大きく違ってしまう。 であれば、選挙で多数を取った政権がやると決めたらそれで良いとも言えるのではないか。 この、俗人と君主という分け方はちょっと新鮮だったけれど、 もう少し詰めないと、国葬は天皇だけのものという事になってしまう。 安倍氏が非業の死をとげたからと言って、 生前に引き起こした問題が消えるわけではない、と山口さんは書いている。 モリカケサクラについては、「疑惑」でしかなく、明確な証拠も何もないのだ。 何の証拠も無いただの「疑惑」を批判の前提にするのは相変わらずの様だ。 けれど、読んで良かった、と思う記事だった。 [山口二郎コラム]安倍元首相の国葬を考える http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/44647.html 立民の岡田幹事長がテレビで、内閣葬なら反対せずに参列した、と言っていた。 んだったら、 国葬を内閣が決めたのなら今回は参列するが、 次の機会から国葬の基準を明確にして欲しい、 と一定の理解を示して静かに参列すれば良いものを、、、、 騒ぎ過ぎです ![]() |
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