かわいひでとし日記
令和3年6月8日      宇佐美学園      全寮制の小学校
 

自分は小学生低学年の時に両親が離婚して、いわゆる「片親」になった事も有り、

3年生から6年生までの4年間、全寮制の小学校に行った。

当時、東京は「スモッグ」と呼ばれる大気汚染がひどく、

子供が喘息になってしまうという問題も有り、東京都中央区では、静岡県に全寮制の小学校を作ったのだった。

東京都中央区立宇佐美学園

伊豆半島の伊東のひとつ手前、宇佐美という町に有ります。


寮で寝起きして、食堂でごはんを食べ、教室に行って勉強をする。

その学園での生活で、怖いものが3つ有った。

まむし、スズメバチ、園長先生だった。


基本的に学園から外出する事は禁じられていたのだけれど、

学園の横に有る坂道はランニングコースとして走る事が許可されていた。

自分はいつも走っていて、長距離走は得意になった。

中学、高校で1500m以上の競争では一度だけ2位になった事が有ったけれど、それ以外は全部1位だった。


また、数人でグループを作って、または先生と一緒であれば、許可を取って近くの山を歩く事も認められていた。

山に行くと怖いのは、まむし、とスズメバチだったのだ。

ヘビはたくさん居て、青大将やヤマカガシなどを捕まえて飼ったりしていたけれど、

毒を持っているマムシだけは恐ろしかった。

そして、帝国陸軍の二等兵だった園長先生は、とても厳しい人で、

ずるいことや卑怯な事をすると、みんなの前でビンタをするのだった。

子供に怪我をさせないように、痛みだけを与える様に、そしてずるい事をすると恐怖のビンタを食らう、

という戒めを子供に与える、ビンタの名人だった。

今ではもう、そういう事は出来ない世の中になっているけれど、

人として間違った事をした場合に、痛みと恐怖だけを与えて戒めるというのは、

子供には良い教育だと思うのだけれどなあ。

自分は今でも、トラウマを持っていて、嘘を言ったり卑怯な事をするのがとても怖いと思っている。


寮では数人ずつ部屋に分かれていて、各部屋には6年生の室長がいた。

上級生は下級生の面倒を見る、下級生は上級生の指示に従う。

寮では週に1回、寮別会 という学級会の様な会議が開かれる。

寮の広間は畳敷きで、みんな正座をして行った。

6年生の寮長さんが議長になり、今週あったこと、良かったこと、悪かった事を話し合う。

約1時間、正座したまたの会議で、終わるとみんな脚がしびれてひっくり返るのだった。


食事の時間になると、当番が食堂の前に有る太鼓を叩くのだった。

その当番になって太鼓を叩くのが楽しみだった。

学園は寮のエリアと学校のエリアに分かれていて、朝食が済むと寮から教室に移動して勉強する。

放課後や日曜日は、山歩きやランニングをしたけれど、寮でゲームなどをして過ごしたりもした。

ゲームと言っても、今の様なものじゃなくて、昔のアナログなゲーム。




生徒の間では牛乳瓶の紙蓋が通貨になっていた。

そのカエル、ちょうだい、いいよ、ビン蓋5枚で譲ってあげる、みたいな感じだった。

地元の「東豆牛乳」が1円玉みたいな感じで、珍しい蓋は価値が高いのだった。


寮でゲーム屋さんを開いてビン蓋を稼ぐ生徒もいたりした。

コタツの板を斜めにして、コリントゲームの様なものを作って一回ビン蓋1枚でやらせたりするのだった。



今思うと、本当にあれが小学生だったのだろうか、と思って噴き出してしまう。

テキヤみたいな商売をする奴も居れば、ヘビ捕りの名人が居たり、

正義感の強い寮長さんが居たり、寮別会でおちゃらけた発言をして笑いをとる奴が居たり、

家が恋しくなって泣く3年生を優しくなぐさめる6年生が居たり、

月に1回の誕生会の出し物で、爆笑させる芸人が居たり、名演技をする俳優が居たり、、、、



基本的に食堂での食事やおやつ以外の飲食は禁止だった。

でも、お菓子を隠し持っている奴が居て、消灯時間後にこっそりお菓子を食べる事も有った。


有る時、部屋の下級生、ケージュがお金を持っている、と言うのだった。

同室の同級生、イナパンはリーダー格で、よし、じゃあその金で菓子を買いに行くぞ、と言うのだった。

放課後、それは決行された。

自分とケージュとイナパンの3人は校門近くで様子を見て、

誰も見ていないのを確認してからこっそり校門を抜け出して、菓子屋へ向かったのだった。

しかし、ふと見ると、こっちを見ている奴が居た。

やばい、隠れろ、とイナパンが指示を出す。

柱の陰に隠れて、どうする? と言うと、イナパンが、よし、立て、と言う。

そして彼は、こっちを見ている奴に向かって、大声で、

おーい、行ってくるぞー

と手を振るのだった。

見ていた奴はつられて、おー、頑張ってこいよーと手を振るのだった。

そして3人は堂々と歩いて町へ向かったのだった。

うまく切り抜けたのかどうか、さっぱりわからないが、なんだかその場を切り抜けたのだった。

3人は町の菓子屋へ行って菓子を買って帰り、夜中に食べたのだった。

あの、「おーー、行ってくるぞ~」と手を振っていたイナパンの姿を思い出すと、

到底あれが小学生だったとは思えない。



東京都中央区立宇佐美学園は今でも静岡県の伊東市宇佐美と言う町の山の中腹に有る。

自分が居た頃の全校生徒は120名くらいだったが、今では20~30名くらいの様だ。

ホームページの写真を見ると、食堂の前には今でも太鼓が有り、

建物は新しくなっているものの、建物の配置などは昔のままの様だ。


月に1回、父兄会が有り、東京から両親や家族が面会に来るのだけれど、

その時先生が親たちに言っていた言葉が記憶に残っている。

一番かわいい時期に、子供を手放して学園に入れた事は、大変な決断だったと思います、と。

昔と違って今ではあまり厳しい教育はしていないのかもしれないけれど、

せっかくこういう学園で教育を受けるのだから、ある程度厳しく、情操、道徳教育もしてくれれば、と思う。


学園を卒業して東京の中学校に進んだ自分は、カルチャーショックを受けたのを覚えている。

トイレ行こうぜ、つきあってよ、という様な感じで、自分ひとりで何も出来ない感じにショックを受けたのだった。

なので今でも自分は他の人と違って、ちょっと変わっている人なのだけれど、

あの学園での経験はとても貴重だったと今でも思っている。

小さなお子さんをお持ちの親御さん、子供にこういう教育はどうでしょうか。

宇佐美学園 一日の生活(画像)

宇佐美学園 施設案内

東京都中央区立宇佐美学園のホームページ

 

 


コメントなどはツイッターやメールでお願いします



@kawaihidetoshi をフォロー

 

日記のトップへ戻る

かわいひでとしホームページ