令和3年2月9日 大河という文化
ノッブのプロポーズ
江戸時代以降、一般庶民の道徳のお手本は「立派なお侍さん」だった。
それは昭和になっても変わらず、人間の理想像として受け継がれてきた。
卑怯なことはしない、弱きを助け、強きをくじく、私利私欲は無く、公のために尽くす、
というような、立派なお侍さんは、現実のものというよりは、芝居などで描かれたものだった。
昭和の家庭では、日曜日の夜はおじいちゃんが見るから、みんな付き合いで大河を見ていたのだった。
大河を見ているうちに、知らずしらずに日本の歴史を学び、立派なお侍さんから道徳を教わったのだった。
平成になって、大河とツイッターのコラボにより、大河文化はまた大きく花開いた。
その最初の作品は「真田丸」だった。
テレビで見てからすぐツイッターを開いて読むのが楽しくて仕方なかった。
ネット民は実に面白い事を書いてくれていた。
「ナレ死」「セコム」などなどなど、、、実に的確で面白い表現が飛び交った。
真田丸は本編を見てからネットでもう一度楽しむ事が出来た本当に素敵な大河だった。
この、半世紀以上続くNHKの大河ドラマは、NHKでなければ作れない、豪華な配役、
綿密な時代考証、音楽や衣装の豪華さ、
そして、看板番組であることの誇りと責任感がスタッフにも出演者にも有り、
出演者は渾身の芝居を見せてくれる。
また、NHK演出部の素晴らしい演出や、見事なライティングなど、本当に贅沢なドラマだと思う。
ノッブのプロポーズ
本能寺の変というと、怨恨説、黒幕説、陰謀説など色々な意見が有るけれど、
麒麟がくる 最終回ではまた新しい本能寺が描かれたと思う。
間違った方向に進んでしまって手がつけられなくなってしまった愛する親友を、
自分の手で始末するという、切なくて崇高な友情の物語。
帝を替える、将軍を殺せ、と、理不尽になっていく信長をどうしたら良いのか。
帰蝶は「毒を盛る」と言う。
自分が育てたのだから、自分で始末せねば、と言う。
「二人で茶でも飲んで暮らさないか」という、まるでプロポーズの様な事を言う信長を、
自らの手で始末する。
そして、本能寺で信長は、攻めてきた相手が光秀だと知り、
十兵衛か、そうであれば是非もない と、受け入れる。
この切ない切ない本能寺は、「友情説」とでも呼べば良いのだろうか。
実に見事な本能寺の変だったと思う。
脚本の池端俊策さん、本当にお見事でした。
大河ドラマはなぜこんなに面白いのか
イチゴパンツ 真田丸
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