かわいひでとし日記


 

令和元年12月24日      引っ掛かる人々      焦らない心を得る



なんでそんなのに引っ掛かるかねぇ、という事が良く有る。

例えばオレオレ詐欺。

どうして引っ掛かっちゃうんだろうと不思議に思ったりするが、

当事者としてはなんだか引っ掛かってしまう時も有るのだろう。

「投資の情報」を何十万も払って買ってしまうとか、

「100万円あげます」を見て信じ込んでしまうとか、

「無料」(ただし2か月だけと小さな字で書いて有る)を見て加入してしまうとか、

こういうのはだいたい、「俺なら引っ掛からないよ、バカだねぇ」と思うやつだ。



バカだねえと言うけれど、実際自分が当事者になってみろよ、引っ掛かっちゃうから、

などと言う。

まあ、そうかもわからんが、、、、。



そうだろうか、、、、。




引っ掛かるほうが悪い、と思ってもいいんじゃないだろうか。

まあ、引っ掛ける奴が一番悪いのだけれど。

そういう奴は人類の歴史上ずっと一定数いるのであって、今後も絶滅はしないのだろう。



自分も引っ掛かったりした経験は無いだろうか、と、考えてみるのだが、

思い当たるのは賭け事とか、かなあ。

昔はさんざんパチンコやってました。

高校生の時からやってました。

パチンコが仕事みたいになってました。


賭け事って、はたから見ると、どーせ損するんだからやめなさい、となるけれど、

当事者はそうは思わなかったりするんですよねぇ。

負けたから取り返す為にやるんであって、負ける為にやるのではない、

と思っちゃうのが不思議と言えば不思議ですね。

だって、勝つ事を前提にしちゃってるんですもんね。

だけど、そうなるんですよね、負けると取り返そうと思ってやっちゃうんだ、これが。

要するに「焦り」が原因なんだろうか。


オレオレ詐欺の電話がかかってきて、「会社のお金を使いこんでしまったから」

とか「女の人を孕ませてしまったから」とか聞くとやっぱり焦っちゃうんですかね。


それはそれでお前の人生だ、処罰を受けてやりなおしなさい、と言えるほど人生に達観するのは、

子供が老人くらいの年齢になった頃でないと難しいのでしょうね。


「やばい、金が無い!」とか「やばい、失敗した!」

とかの焦りが有るからいろんなものに引っ掛かってしまうのかもしれないですね。

う~ん、しかし、そういう風に焦る事って、人生では有りますもんねぇ。


これはこれで自分の人生だ、と達観できる年齢になるまでは用心して生きていないとならないでしょうか。


今まで生きてきて、自分が失敗して人生が変わってしまったことって有りませんか?

それでも今、こうして生きているのですから、失敗しても、それに真摯に向き合って生きていれば、

焦らなくても済むのかもしれません。


焦ってしまって、「なんとかごまかそう」と思う愚かな心。

そういう気持ちにならない様にするのが人生の修業かもしれません。

焦らずに、冷静に、そしてありのままに物事を見られる様になるのが、

死ぬまで続く経験の積み重ねであり、勉強なのかもしれません。




お辻さんの決断




 
 


 

 


 


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