令和元年5月31日 子供を手放すこと
子供の教育
実は自分、小学校は全寮制の学校だった。
昔、東京は「スモッグ」という大気汚染で喘息になる子供がいたため、
公立で地方に学校を建てたのだった。
大気汚染が無くなってからも、教育上の理由からそういう学校に入れる父兄が今でも存在する。
ふと、懐かしくなってネットで見てみたら、その学校は今現在でも当時の場所に存在していて、
(ただし、1~2年間の在籍が限度になっているようだ)生徒数はかなり少なく、各学年10人くらいの児童が在籍しているらしい。
あの学校に4年間過ごしてから東京の中学校に進んだ時、かなりのカルチャーショックを受けたのを覚えている。
トイレ行こうぜ、と言われて、え?一人で行けばいいじゃん、と言ったのだが、いわゆる連れションというのか、そういう時はつきあうのが普通らしかった。
なんで付き合わなければならないのか意味が解らなかった事を良く覚えている。
それだけ特色の有る教育を受けたという事なんだろうと思う。
学園歌は今でも覚えていて、ちゃんと歌えるのだ。
全寮制なので、寮で寝起きして、食堂で食事をし、教室へ行って勉強する。
放課後は校庭でスポーツをしたり、近所の山に昆虫やヘビ、カエルなどをつかまえに行ったりしていた。
食堂で夕食を済ませたあとは、寮に戻ってみんなで遊んだり、学級会の様な寮の会議をする事も有った。
寮は畳の部屋で、みんな正座して会議をしていた。
寮は学年別にはなっていず、全員が一緒に生活している。
消灯時間以降も、寝ずにヒソヒソ声でずっと友達と話をしていた。
夏休みなどは東京に帰る事が出来るのだけれど、それ以外はずっとその学校で生活する。
月に1回父兄会が有り、東京から両親が面会に来る。
その父兄を前に、園長先生が、
「一番かわいい時期にお子さんを手放されたご決断は大変ご立派と言う他ない」という様な事を話していたのを覚えている。
かわいくてたまらない子供を、教育上の理由で外に預ける決断をする親御さんがまだ、今の世の中でも居るんだなあと、少しほっとしたのだった。
東京都中央区立宇佐美学園
おもひでぼろぼろ
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