かわいひでとし日記
令和8年8月2日.     何の為に生きるのか      脳の持つ世界
 
先日書いた話、大好きだったシマリスのりゅうのすけがお星さまになった時の事。

もう逝ってしまった相手には何かをしてあげる事が出来ないから、

残された人が逝った人に対して、

してあげられる事を与えてくれるのが宗教のようなものなのだな、と思ったという話。、

例えば仏教なら49日の間、無事に極楽へ行ける様に手伝ってあげる。

暗い夜道を歩く助けになる様に毎晩お灯明をあげる。

御葬式やその後の色々な事は、残された人にする事を与えてくれる為に有るのだな、

と思った訳です。

では本人にとって、その時というのはどんなものなのでしょうか。



サン・テグジュペリの「人間の土地」という本だったと思いますが、

死刑囚が刑執行の前に、一本の煙草を貰って吸う事について書いている部分が有りました。

死刑執行の直前に、一本の煙草を貰う。

(昔は誰でもみんなタバコを吸っていて、吸うのが当たり前だった)

そして味わって吸う。

もう死ぬんだから吸ったってしょーがないじゃねーか、

と思ってしまう人も居るかもしれませんが、そうではないと思います。

1本の煙草を吸う数分間、その人には永遠の時間が流れるのだと思います。

ああ、煙草がうまい、と思うその数分間。

これが人生の究極の姿なのではないでしょうか。

時間の長さやなんかじゃない。

ああ、煙草がうまいなあと思うその数分間が大事なのではないでしょうか。

最後の1本のタバコの持つ意味はとても大きいのだと思います。


立花隆さんが書いた「臨死体験」という本をご存じでしょうか。

死後の世界を見てきたという人たちに取材をした内容の本です。

死んだけれど、息を吹き返した、という様な人。

そういう人の証言で非常に多く共通しているのが、

まず、自分が自分の肉体から離れて浮かび上がり、

病室で自分のベッドを見守る人達を上から見下ろす。

そして長いトンネルを通って、そこを抜けると、

光り輝く世界が広がる。

そこでは先に逝った人達と再会をする、という様な内容。


自分はその事について考えた事が有ります。

全く自分で勝手に考えたもので、科学的でも何でもないのですが、

結局、死後の世界というのは自分の脳の中に有るのだと思います。

死ぬ瞬間、たぶん、脳の中に色々な走馬灯が流れるのだろうと思います。

今まで生きてきた一生分の映像が流れる。

そして、脳の中で死後の世界に行くと、先に死んだ人たちに再開する。

おお、久しぶりだなぁ、元気だったか?なんて話をする。

死ぬ間際は、そういう幸せな時間が流れるのだと思います。

看取っている人にとっては、ほんの数秒、数分に過ぎない時間ですが、

本人にとっては100年分の時間なのです。

たぶんそうだろう、きっとそうに違いない、と思っています。



寅さんの映画で、満男が寅さんに、「人間ってなんで生きてるの?」

と、聞く場面が有りました。

寅さんは言いました。

「ああ、生きていてよかったなあ、と思う事がたまに有るじゃねえか、その為に生きてるんだよ」

と言いました。

本当にそうだと思います。

殆どの時間は辛かったり、楽しくなかったりするのだけれど、たまに良い気持ちになる。

辛い時間のほうが圧倒的に多いのだけれど、

生きていて良かった、と思うその瞬間が、その人の人生なのだろうと思います。

時間の長さじゃないのです。

死刑囚の最後の1本のタバコの様なものです。


作家の吉村昭さん、自分は吉村さんの著作が大好きで、殆ど全部を読みました。

その吉村さんが、病床で娘さんに

「もういいよ」

と言ったのだそうです。

もういいよ、というのは、もう延命治療をしなくてもいいよ、という意味です。

色々なチューブだのを繋げられている状態だった訳です。

そして静かに亡くなったのだそうです。

その気持ちはなんだか解ります。

「安らかに」という表現をする事が多いですが、

きっとその時は安らかなんだろうと思います。

だからあまり死を恐れなくても良いのではないでしょうか。

だって、懐かしい人達に再開して幸せに暮らせるのですから。


よく、その辺のジジーが、

「あー、もう早く死にてぇよ」とか言ったりします。

もう身体も動かねえし、生きてたってしょーがねーや、なんて。

半分は冗談ですが、半分は本気なのだろうと思います。

歳食ってくると、この先の希望があまり見えなくなる。

どんどん衰えてゆくばかりだ、なんて思うからなのでしょう。

自分もこの先の事を考えて計画を立てようと思っても、

あと何年生きるのかすら解らず、計画の立てようもない、なんて思ったりします。

もう、早く死んじまったほうが楽だよ、なんて憎まれ口を言ったりします。

まあ死に急ぐのは良くないですが、死ぬのはきっと安らかだろうから、

最後の楽しみにとっておきましょう。


かなり突き詰めると、人生の目的は安らかに終える事なのかもしれません。

生きている時に良心に忠実に、人に優しくしていれば、

ああ、久しぶりだなー、会いたかったよ、と、光り輝く向こうの世界で言えるのですから。

カネの為に嘘を言ったり人を騙したり、良心に背く事をしないで生きているのが、

結局は一番楽だし、最後も安らかなのではないでしょうか。

なんだか宗教的な事を書いている様に思うかもしれませんが、

これは結局、生き方の問題であって、死後の世界というスピリチュアルな話ではありません。

その死後の世界は自分の脳の中に有るのですから。

良心に正直に生きるのが一番正しいという話です。


良心に正直に生きるには、その良心そのものが育っていなくてはいけません。

だからこそ道徳教育が必要です。

ただし、簡単に一言で「道徳教育」と言っても、それは実際には難しいもので、

学校で教えるには無理が有る部分も有ると思います。

だから結局は両親が子供に、日々伝える事なのだろうと思います。

一番かわいい盛りの時にきつく叱るのは本当に辛いものですが、

その子の人生の為です、しっかり叱ってやってください。

過保護に育てるときっと後悔しますし、その子も良い人生を歩めなくなります。

自分最優先のワガママな人間に育たない様に、きちんと躾ける事をお願いしたいです。





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