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| 令和5年6月2日 基本が大事 カタチよりも経験 |
| 随分昔の事で、ご本人ももっと大人になってお考えが変わったかもしれないけれど、 ホリエモンさんが、寿司職人になるのに10年修行が必要、という事に対して、 んなわけねーだろ、寿司なんて1か月で握れる様になる、 みたいな事を発言していた事が有った。 それを聞いてすぐ、自分の中ではおじさん的意見がむくむくと湧き上がったのだった。 職人になるというのは修行が必要なんで、そんな簡単じゃないよ、と。 まあ、カタチだけマネて出来る様にはなるかもしれない。 でも、考えて見れば、のれん分けなどで独立しても、 修行が足りないときちんと出来ないだろうとは思う。 これは何も寿司の握り方だけではない、ということだ。 ネタの仕入れのノウハウ、人脈やら見分け方やら、 あるいはイヤな客が来た時どうするか、とか、 売れ残ってしまったらどうするか、とか、 実に様々な知識や経験が必要だろうと思う。 だからと言ってきっちり10年の修行が必要かどうかについては、 もしかしたら7年で良いかもしれないし5年でもいいかもしれない。 要するに、寿司の握り方をマネするだけでは一人前に寿司店をやれないだろう、 という事だ。 また、「10年」というのはもしかしたら 「長い間」というだけの意味で使っている文学的表現かもしれない。 かなり昔の映画だが「カラテキッド」というのが有った。 アメリカ人の少年が空手の師匠に弟子入りする話だ。 けれど、来る日も来る日も雑用や掃除、窓ふきなどをさせられて、 ちっとも空手を教えてもらえない。 それに不満を抱くのだけれど、実は掃除をする時の動作、 窓を拭く時の動作が空手の基本練習になっていた、という、 まあ、ちょっとくだらない映画なのだけれど、 筋立てとしてはその通りだろうとは思う。 カタチだけマネしても出来るものではなく、基本を積み重ねなくてはダメなんだ、 という事だろう。 これは色々な事に言える事だと思う。 スポーツ選手でも、〇〇士などのサムライ業の人、医者や教師もそうだし、 会社の管理職でも、カウンセラーでもアドバイザーでも、なんでもみんなそうだ。 資格を取っただけではまともな仕事は出来ない。 ところが資格を取ってすぐ自分で開業する人も多く、 そういう人に当ってしまった客はちょっと被害を受ける事も有る。 自分も若い医師に当ってしまってちょっと困った事が有ったりした。 自分はエアロビクスをしているので、この「基本が大事」というのは 物凄く大事な事だと思っている。 エアロビクスはトレーニングとしてやるものなので、 上手かろうが下手クソだろうがやればそれで良いのだけれど、 実は上手くなる事には色々と意味が有る。 上手い人と下手な人では運動強度が3倍も違ったりするし、 上手くなろうと思ってやる事がモチベーションとなって長続きするし、 下手な人は安全性に問題が有ったりもするし、かなり色々と有意義なのだ。 エアロビクスにはトレーニングだけでなく、競技も有る。 競技の場合は、上手いほど点数が良くて優勝に近づいてゆくわけだ。 エアロビクスの競技で、出場者が同時に同じ振り付けの動きをした場合、 全員が同じに見えるかというと全然そんな事は無い。 人によって全然違って見えるのだ。だからこそ採点する余地が有る。 同じ事をやっていても、上手い人と下手な人では全然違う、というのは、 何も競技エアロビクスだけではなく、色々な事に当てはまると思う。 結局、他人から評価される様になるには一定程度の長さの修行が必要という事だ。 ただ資格を取っただけでは使い物にならないという事だ。 そしてカタチだけ覚えれば出来るというものではない、という事だ。 これから何かの資格を取って仕事をしようと思っている人はぜひ、 修業期間を自分に課す事をお勧めしたいと思う。 自分のエアロビクスのレッスンでは、 Vステップを上手くなろうと思ったら、Vステップの練習をするのではなく、 マーチとステップタッチを練習しなさい、と、(これは比喩的表現です)言っています。 友達同士でどこかにレジャーに行く事が有る。 どこに行こうか、温泉? キャンプ? 海外旅行? などなど、色々考えるのだが、 自分はそれは何処でも良いと思っている。 友達とみんなで色々な話をしたりする事がメインイベントであって、 温泉だろうがキャンプだろうが、それはカタチだけの事だ。 みんなでクルマに乗って目的地へ向かう車中で色々な話をしたり笑ったり、 結局それが一番楽しいのだ。 だから、デートする時だって同じだ。フレンチだろうがイタリアンだろうが、 お茶だろうが、遊園地だろうが美術館だろうが、要するに二人で過ごす時間がメインなのだ。 何処へ行くか、何をするかはカタチだけの事ではないだろうか。 自分は歌舞伎が好きなのだが、芝居を観ていて、 若い役者の演技に「まだまだだな」と思う事が有る。 けれど、半年くらい経ってからまたその同じ役者を見ると、 見違える様に良い演技をする様になっていたりする。 歌舞伎は1か月ごとに演目が替わる。 1か月間はずっと同じ役をやり続ける。実はこれが良いトレーニングになっていて、 別の月に別の演目をやっても、かなり上手くなっている事が有る。 また逆に、大ベテランの役者で、もうかなりの年齢で、 普通にその辺を歩いていたらどう見てもヨボヨボの爺さんでしかない様な人が、 役者として舞台に立っている時に、やっぱり年齢を感じるし、かなり衰えているのだけれど、 それでもやっぱりベテランは違う、深い味わいの有る演技をしてくれるのだ。 これは本当に長年の積み重ねだろうと思う。 役者は60歳から、なんていう言葉も有るくらいだ。 歌舞伎ではなくても役者には色々居て、ものすごく演技派の人も居る。 凄い演技力で、渾身の演技をしてくれたりする。 けれど、何かが足りない、という場合も有る。 それはやはり、その人の持つ人間性の様な、自然と出て来る深い味わいの様な、 要するに場数が足りない、経験不足という所でイマイチに見えてしまうのではないだろうか。 逆に、演技は下手クソなのだけれど、なんだかすごく良い役者さんも居たりする。 それですぐ思い浮かぶのは三崎千恵子さんだ。寅さんのおばちゃん役をやっていた、 あのおばちゃんだ。 自分はあのおばちゃんが大好きだった。でも演技は下手だった。 でも、なんだか凄く良いのだった。 今の様にスマホなど無かった頃(自分の人生の三分の二はスマホは無かった)、 何処か初めての所へ行く時にはまず、家で地図を見て、だいたい頭に入れて、 念のためにメモもして、それを持って出かけたものだった。 (地図そのものは家に置いたままで持って行かない) うまく行くと電車を降りてから何も見ないで目的地にたどり着けたりする。 ちょっと迷ってもメモを見て、頭の中の地図と照らし合わせながら歩くとなんとかたどり着く。 ところが今は、歩きながらスマホを見てその通りに歩くだけだ。 頭を働かせないで済んでしまう。 これはかなり人間を退化させてしまう様な気がしてならない。 良く、「歩く乗換案内」みたいな人が居る。 都内の何処かにどうやって行くかと聞くと即座に、 何線の何駅で何線に乗り換えてどこどこで降りる、と即答してくれるような人だ。 けれど、その人の頭の中には路線図しか無く、地図が無い事が多い。 地図の上に路線図が描かれているのであれば、 そこに行くにはわざわざ電車に乗って乗り換えずとも、 真っすぐ歩いたほうが早い、なんて事が解らない場合も有るのだ。 路線図というカタチにとらわれて、地図という一番の基本を忘れてしまうと起こる事だ。 何かを会得する場合、カタチから入る、という事も有るとは思う。 まずは慣れる事も大事だからだ。 けれど、カタチばかりに囚われて基本を忘れてはいけない。 地に足の着いた地道な考えが基本に有るべきだと思う。 何かをやろうと思うならやっぱり、ある程度の修行が必要だろうと思う。 そういう訳で、人生はずっと修行だと思う。 「人生で勝ち組になる為の10の法則」とかいいうハウツー本を読んでも上手く出来るものではない。 そんな本を読むなら歴史の本などをたくさん読んだほうがずっと身になると思うのだ。 おばちゃん 三崎千恵子さん ![]() 人生の修行 成長の場 人生に必要なふたつの事 忙しく暮らすこと 人生 運が良いとか悪いとか 若き日の遺産で楽しく暮らす 62歳から現在まで 人間は慣れる動物 「考える」と「やる」の違い |
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