かわいひでとし日記
令和8年1月21日      はっきり言うべき時が来ている      現実的な議論を
  
「信教の自由」などと言う。それはそうだ。

個人の自由だ。

だがどうだろうか、その人が信じている宗教がもし、

あまりにも価値観が違い過ぎたり、他宗教を攻撃するものであったりしたら、

異教徒を滅ぼして侵略する意図を持っていたとしたら、

なんらかの対策を取る必要が出て来るのではないだろうか。

自分の心の中だけで信仰しているのであれば自由だが、

他人を攻撃するのであれば警戒する必要が有る。

宗教の話をする時、ちょっと気を付けないといけないのは、

多くの日本人にとって宗教とは、心の中だけの事であり、

生活に規制が加えられる様なものでもなく、

他人がどんな宗教を信仰していようが一向に構わない、という感じなのだろうと思う。

神道には教祖様も居ないし戒律や法典も無い非常に原始的な、自然崇拝の様なものだ。

仏教でも日本では「葬式仏教」などと揶揄されるくらい緩い感じになっている。

ところが外国の宗教ではもう少し強めで、絶対的な一つの神が居たり戒律が有ったり、

定期的に祈ったり、何かと規制の様なことを受けるものだ。


ここで言いたいのはイスラム教の事だ。

イスラム教徒にも原理主義的な激しい人と、とても緩い人が居る。

自分は実際に同性愛者のイスラム教徒に会った事も有るし、

豚肉を食べたり酒を飲む人だって居る様だ。

問題なのは非常に激しい原理主義的な人だ。

彼らの考えでは女は家畜と同等の生き物であり、教育を与える必要も無く、

家に閉じ込めておいて、外出する時は布で覆って出かけなければならず、

女性が車の運転をするなどとんでもない、という事になっていた国も有る。

さらに、異教徒というのは殺す対象であり、

法とはシャーリア法の事であって他の法律を守る義務など無いと思っていて、

異教徒の国を侵略してイスラムを広めるのだ、と言っている。

ここまで来るとさすがに共生など出来ないではないか。

そういう人には我が国に入国して貰っては困る、と、はっきり言うべきではないだろうか。

今、ヨーロッパなどでは実際にそういう方向の動きも出てきている。

女性がヒジャブを被って外を歩く事を禁止した国も有るし、

指導者が公然とイスラムは敵だと言っている例も有る。

道路の真ん中でこれ見よがしに祈りをする例も良く見かけるが、

イスラム教の国内ではそんな事はしないのだと言う。

要するに示威行為なのだ。わざとやっているのだ。

我々は自分たちを守る為にある程度の行動をしなければならないだろうと思う。

信教の自由などと吞気な事は言っていられないはずだ。


さて、トランプ大統領がベネズエラを攻撃して大統領とされる人物を拉致した事件が有った。

これに対して「国際法違反だ」

「これを認めたらロシアのウクライナ侵略も認めなければならない」

などという理屈で批判する声も多い。

確かに国際法違反だろうとは思う。

だが、選挙で不正をして自分は大統領だと自称しているという実態だったり、

国民の大多数が国外に逃げ出すほどの酷い国内状態であったり、

反対派を弾圧したり、麻薬で商売をしたりしているという事になれば、

「正義の為に」実力行使をするのも「やむを得ない」と考えるのも一つの考え方だろうと思う。

そうでもしなければベネズエラの国民を救えないではないか、という事だ。

何も領土的野心を持って行う事では無いのであれば、「やむを得ない」と思っても不思議は無い。

一部の報道ではトランプはベネズエラの石油を狙っていたのだ、というものも有るが、

アメリカには売る程石油が有るのだ。

余りにも杓子定規で物事を考えていたら問題が解決されないという事は多々あると思う。

あまりにも法を優先しすぎて本来の目的から外れてしまう、という事は有るものだ。

国民を守る為の法律がいつのまにか国民を苦しめる事になってしまう、

などという例は時々見かけるものだ。

だからこれも、何が正義であるか、現実的な考え方で対応するべき時も有るのだろうと思う。

ベネズエラの件について日本はどういう立場を取るべきか、という話であれば、

日本の国益を優先した結論を出すのが現実的であって、建て前だけ言っても仕方が無いだろうと思う。

今、イラン国内で混乱が起きている様だ。これについてもアメリカが介入するそぶりを見せている。

イランはまさに今、イスラム原理主義者によるファシズム国家になっている。

自分は年寄りなので覚えているのだが、以前、イランはもっと自由な国だった。

女性がミニスカートをはいていた時代が有ったのだった。

イランで国民の不満が高まるのも無理は無いだろうと思うのだ。

もしアメリカが軍事的に介入したとしても、

国際法違反という建て前だけで論じるのもどうかと思うのだが、どうだろうか。


「建て前」と言えば日本にもたくさん有る。

例えば「非核三原則」などというものが有る。

核を持たず、作らず、持ち込ませず、だと言うのだ。

では米軍の軍艦は日本に寄港する時いちいち核を降ろしてから来るというのだろうか。

そんな訳は無いのだ。とっくの昔から核は持ち込まれているのだ。

さらに、日本は唯一の被爆国だから日本は絶対に核武装するべきではない、

などと言う。

核兵器など持たないほうが良いに決まっている。

けれど、他国が、それも日本を取り囲む国がみんな核兵器を持っていて、

さらにそれらの国が日本に対して敵対的であるという現実を考える必要が有る。

核兵器による攻撃を防ぐには自分も核を持つか、通常兵力を強大にするか、

くらいしか現実的な方法が見当たらないのであれば、

核戦争を防止する為に核兵器を持つ、という選択も有り得る事だ。

日本では非核三原則ではなく、非核五原則になっているなどと言われる。

核について「言わせず」と「考えさせず」が加えられているのだ。

せめて現実的な議論はしなくてはいけない。

ウクライナは過去にソ連の一部として核兵器を作っていた。

その核兵器を放棄した為にロシアに手を出されてしまった、と言われる。

非常に重要なクリミア半島を奪われ、今は東部を奪われようとしている。

今でも核兵器を持っていればロシアは手を出さなかったかもしれないのだ。

だから日本でも、もう少し現実的な議論をしたほうが良いのだ。


世界の指導者の中で実際に核兵器を使う度胸が有る人物は居るだろうか。

必ず核による反撃を受けるのだから、出来れば使いたくは無いはずだ。

ただし、戦術核という小さ目な核兵器も有る。これならもう少し使いやすい。

出来れば使いたくはないが、追い詰められたら使うかもしれない、

と思っておく必要は有るだろうと思う。

日本はイギリスに習って、核ミサイルを積んだ原潜を5隻持って、常時運用すれば良い、

という考え方が有るが、それはかなり現実的な考え方ではないだろうか。

日本に核ミサイルを撃てば必ずどこかに居る原潜から反撃される、

という抑止力はかなり有効ではないだろうか。

さらに、地上に核基地が無いというのも攻撃対象にならずに済むという利点も有る。

そういう現実的な議論はしっかりするべきだろう。


日本国憲法は「平和憲法」だから改憲するべきではない、とか、

国債発行は国の借金だからやるべきではない、とかいう架空の建前論や、

減税したらその財源として増税する必要が有る、とかいいう訳の分からない建前論や、

お隣の国同士だから仲良くしなければならない、などという非現実的な建て前論などなど、

ちょっとアホみたいな事ばかり言っていないで、きちんと現実的な事を考えたほうが良い。

日本国憲法は国の有り方として欠陥が有るだろうし、

国債を買っているのは日本国民が殆どだし、

無駄な支出を減らして減税して経済を成長させて税収の自然増を財源とするべきだし、

隣の国がヤクザ国家なのだからケンカはしないまでも、深く付き合うべきではないのだ。

建て前ばかり言っていないで、国会で現実的な議論をして欲しいものだ。














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