かわいひでとし日記
令和6年9月22日      政教分離とは      国の主体性とは
  
「政教分離」というが、それってどういう意味だろう、と考える。

そもそも「政教分離」というのは、個人の信教の自由を守る為に、

国が宗教を支援したり弾圧してはいけない、というほどの意味だろう。

けれど、例えばアメリカの大統領就任式では聖書に手を置いて宣誓したりする。

アメリカの場合、「政教分離」というのは

separation between state and church

州と教会の分離、要するに政治が宗教に介入しない、というほどの意味の様だ。

だから大統領がキリスト教徒なら聖書に手を置いて宣誓するのは問題にはならない様だ。

イギリスの場合は英国国教会によるキリスト教だが、一方で信教の自由は有る。

と、考えると、日本の総理大臣が伊勢神宮に参拝するのは別に問題無いと思える。

米国大統領の例でも、総理大臣の例でも、

要するにその国の大多数の国民が或る宗教に属していて、

大統領なども属しているから問題ではないのだろうと思う。

それはまさしく国のアイデンティティという事ではないだろうか。

政教分離とは「政治と宗教は完全に分離されなければならない」という意味ではなく、

政治が宗教に介入してはならないが個人には信教の自由が有り、

大多数の国民が属している宗教は「普通の事」として自然と受け入れられる、

という事ではなかろうか。

だからこそ、日本は天照大神の子孫である天皇が統べる国であることは、

国のアイデンティティであり、「ごく自然な事」で、

天皇が総理大臣を任命し、総理大臣は伊勢神宮に参拝する、というのも、

あったりまえ、な話なのだろうと思うのだ。

ただこれは「打倒!天皇制」とか言う人には絶対に理解されないのだろう。

逆に、まあそうだよな、と思う人は大多数のサイレントマジョリティなのだろう。

こういう事を論理的に説明するのはちょっと難しい気がする。

そして、こういう事を法の観点だけで考えるのもちょっと違う気がする。

法理や論理の外に有る、心の問題になるのだろうと思うし、

また、それが結局は一番大切な事なのだと思うのだ。


結局、国のアイデンティティというのは、大多数の国民の価値観なのだろうと思う。

神道や仏教の習慣などが「普通のこと」でないと成り立たないのだろうと思う。

もし米国大統領にイスラム教徒がなったとしたら、so help me god

とは言わず、アッラーアクバルと言うのだろうが、

その時アメリカの国民の半数以上がイスラム教徒になっているという事なのだろう。


さて、大分県の日出町において、イスラム教徒による土葬を認めるかどうかで問題が起こった。

新しく当選した安部町長は、選挙公約で土葬を認めない事を表明していて、

実際にその様な方針を取った。

これは憲法89条に違反する、というのが論拠の様だ。

憲法89条では、公金を宗教の為に使ってはいけない、という様な事が書かれている。

さて、これはどうだろうか。

総理大臣が伊勢神宮に参拝する費用は使っても良いが、イスラム教の為の墓地はダメ、

というのはおかしいのではないか。

結局これも、大多数の国民がイスラム教ではないから、というのが真意なのだろうと思う。

神道はおっけーだがイスラム教はダメ、というのは別に不公平ではなく、

当然の事なのだろうと思う。なぜならここは日本だからだ。

なので、厳密に法だけで解釈するのはちょっと狭いのだと思うのだ。

国や国民というもののアイデンティティが重要なのだと思うのだ。

2000年も前から天皇を頂き、神社に参拝し、お寺にお参りするのが

「ごく普通のこと」であるのが日本なのだろう。

だから、イスラム教はダメだが神道はおっけーになって当然なのだろうと思う。

しかしまあ、この話も「打倒!天皇制」という人たちには通じないのだろうと思う。

論理でも法律でもない、心の問題に帰結してしまうからだし、

その心を持っている国民が大多数であれば、それが国のアイデンティティなのだろうと思う。

そう考えると、安易に外国人を受け入れてどんどん人数を増やす様な事をしてはいけない、
と思うのだ。

特に、日本に敵対的な人、完全に相容れない宗教の原理主義者、

のような人をどんどん入れてはいけないのだ。

イスラム教の考え方というものは、日本とはかけ離れている。

異教徒は殲滅する対象で、女性は家畜と同じ、というのでは、

とても共生など出来ないのではないだろうか。

現在日本に居る外国人は2.3%ほどだそうだ。

これには帰化した人は含まれない。

その、帰化、という制度もかなりゆるい。

私は日本国民として日本の文化伝統を守り、日本を愛して日本の為に生きます、

などと宣誓でもするのかと思いきや、そんなものはなく、

ちょちょっと書類を書くだけなのだ。

元中国人がテレビに出て堂々と、自分が日本に帰化したのは

日本のパスポートを持っていると便利だからで、

もし戦争になったら日本の味方はしない、などと平気で言っている。

帰化の制度もきちんとしなければいけない。

あまりにも文化も風習も宗教も教育レベルも違い過ぎて、

さらに日本を敵視している外国人をどんどん入れてはいけないのだ。

人口の3%が外国人になったら、これは結構な人数だ。

自治体によっては既に10%を超えている所まで有るのだ。

それらのうち、日本の文化と相容れない人や日本に敵対的な人間がどれくらい居るだろう。

日本のアイデンティティは日本の文化風習を普通の事と思っている日本人が居るという事だ。

中身が価値観の違い過ぎる外国人に入れ替わってしまってはもう日本ではなくなる。


日本の政府はまず日本人を守る事をするべきだ。

日本の政治は日本人を贔屓すること、日本人を優先する事をするべきなのだ。

その上で、余裕が有ったら外国にも親切にしたら良い。


最後に、心に残っている事を書きます。

元中国人だった評論家、文筆家の石平さん、日本に帰化した時に、

手続きが余りにも簡単なので非常に驚いたという。

だから石平さんは、自ら伊勢神宮に参拝し、天照大神に、

これから自分は日本人になります、どうぞよろしくお願いします、

と祈ったのだそうだ。

そういう人なら大歓迎なのだ。

神社を破壊したり除夜の鐘がうるさいと文句を言ったり、

法律を守らず犯罪を犯す外国人は歓迎できないのだ。

なぜならここは日本だから。

結局、そういう事なのだろうと思う。


自分は政治や財界の、日本人を蔑ろにして

外国人ばかり優遇する売国奴たちにはうんざりしている。







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