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令和6年9月4日. 年寄りは役に立つか 健全な社会の為に |
国の医療費が3年連続上がっていて、47兆円になるという。 国家予算の半分近い金額だ。 要するにこれは、簡単に言うと個人が病院で治療をして支払う金額のうちの 多くを何らかの形で国が補助しているということ。 そういう自分も病院で治療を受けているが、高額療養費制度によって、 自分で支払う金額の大部分を国に負担してもらっている事になる。 これは正直言ってとてもありがたい制度で、 全額自己負担であればとても治療は受けられない金額で、死ぬほかは無い事になる。 けれど、国家予算の半分近くという膨大な金額だ。 これを大きく減らす事が出来れば国債を発行しなくても済むし、 他の有意義な使途に向ける事が出来るのだ。 税金だってずっと安く出来るのではないだろうか。 国家予算110兆円のうちの47兆円だ。本当にため息が出る。 この膨大な金額の多くは高齢者が使っている。 若いうちに一生懸命働いて国を作って来てくれた人達なのだから、 年を取って仕事が出来なくなり、病気をしてしまったのだから助けなくてはいけない。 しかし、それにしても、47兆円とは、、、、。 若い頃は社会の為に働いた人達だが、年寄りになるともう、 「何の役にも立たない」という存在になってしまう。 若いうちに一生懸命働いたのだからいいだろう、 と言ってはいられないのではないだろうか。 医療費の内、どうしても仕方が無い部分は多々あると思う。 不慮の事故で怪我を負ってしまったとか、 一生懸命働いていたのに病気を得てしまったとか、 そういう人たちに金がもったいないから死んでくださいと言うわけにはいかない。 これは何のデータも持っていない個人の大雑把な推測でしかないが、 医療費47兆円のうち、整理するところをきちんと整理すれば 半分くらいに出来るのではないか、という気がする。 いや、本当に何のデータも無く、ただ、気がする、というだけなのだが。 けれど、若い人でも年寄りでも、ちょっと病院へ行きすぎなんじゃないか、 と思う事も有る。 身体が丈夫ならいちいち風邪を引いたくらいで病院などに行かなくても、 食って寝ていれば治るのだ。 不摂生の為に得た病気も気を付ければ防ぐ事が出来るのだし、 子供のころから身体を丈夫にするように生きていればかなり違うのではないだろうか。 平成、令和の人間は本当に過保護だと、昭和の人間は思うのだ。 食べ物を床に落としても3秒以内なら拾って食べる、という3秒ルールが昭和には有った。 そうやってバイキンや発がん物質などをある程度身体に入れて、 免疫力を高めていれば病気になりにくい丈夫な身体になるのだ。 きちんと日光の紫外線も浴びて、免疫力を高める様に生きていれば丈夫になるのだ。 医療業界はちょっと商売熱心過ぎて、予防医療というものに力を入れようとしない。 あんまり健康になって貰っても商売にならない、 あんまり安い薬が効いてしまっても商売にならない、 国が補助してくれるのだから医療費が払えなくて病院に来られない人も居ない。 医療業界はどんどん病人が増えて、なおかついくら高額でも 貧乏人でも治療を受けられるほど国が補助してくれる。 こんな感じなので47兆円になってしまうのだと思うのだ。 ちょっとした事ですぐ病院へ行くのを防ぐ為に、 個人の負担額をもう少し上げるという事も必要なのではないだろうか。 けれど、それをやろうとすれば猛烈な反対が起こる。 患者だけでなく病院も反対するのだろう。 繰り返すが、病気を得てしまった個人にとっては 高額療養費制度は本当に有りがたい制度だ。 けれど、多くの人が身体を丈夫にする生活をして、 なるべく医者にかからずに済む様にすれば、 それだけでも随分医療費が違ってくるのではないだろうか。 そして、個人的になんだかなぁ、と思うのは、 通常、商売というのは客が買えないほど高い値段をつけたら商売にならないのだ。 しかし、医療の場合、とても個人で払えないような金額になっていて、 それを国が補助している。 医療業界ももう少し控えめにしようと思ってはくれないのだろうか。 さて、年寄りは何の役にも立たない存在なのだろうか。 年寄りが社会にとって役に立つ存在で居る為に最低限必要な事は、 頭も体も元気であることだ。 もちろん、年齢を重ねれば次第に衰えては来る、けれど、 役に立たない程衰えなければまだまだ社会の役に立てるのだと思う。 昔の日本の家には子供と両親と、さらにおじいちゃん、おばあちゃんが居たものだった。 これは実はとても有意義な事だと思う。 子供の精神の成長にとって、年寄りからの話を聞いて育つ事はとても有用だ。 よく、若い子に会って、この子は性格も良くてとても良い子だなあ、と思うのは、 だいたい子供の頃におばあちゃん子とかお爺ちゃん子だった人だったりする。 子供の頃からずっと、年寄りから色々な話を聞いて、道徳教育を受け、 社会のしきたりやマナーを学んで育つのは重要な事だ。 これが片親の環境などだと、いくら親が頑張ってもどうしても 不足してしまう部分ではないだろうか。 なので、学校の先生は若い人間ではなく、年寄りが勤めるべき仕事なのだと思う。 まあ、年寄りにも色々居て、頑固になってしまったり、考えが偏り過ぎてしまったりする 人も居るので、そうではなく、心も身体も健康な年寄りが居れば、 学校の先生になってもらうべきだと思う。 年をとっても考えが頑固にならず、若々しい頭脳を持ち、身体も健康な年寄り。 これが社会に役立つ年寄りなのではないだろうか。 ところで、学校の先生を年寄りにしたほうが良いという意見には 反対する人が居ると思う。 そういう人の言い分としてはだいたい、「古い考えはダメで、新しい考えが優れている」 という方向性なのだ。 その考えは稚拙なのだと思う。 人間は知識と論理が整っていればうまく行く訳ではないのだ。 経験値という、それが少ない人にはその価値が解らない重要な要素が有る。 さらに、古いとダメで新しいと良い訳ではないのだ。 古くても普遍的な価値観や、長い年月をかけて培われた知恵が有るものだ。 人間は長い年月と深い経験値を持った先輩から教育を受ける事は、 理屈で考えるよりも遥かに重要な事なのだと思うのだ。 きちんとした食事を摂り、ある程度強めの運動をし、いつも勉強をして、 いつも謙虚で、優しい心を失わない様に生きる、 これが社会に役に立つ年寄りというものだと思う。 そういう人をぜひ、学校の先生にする様な仕組みを作ってくれれば、 子供たちの精神も健康に育つだろうと思う。 健康な身体と健康な精神を持って、謙虚で明るい年寄りになるには どうしたら良いかと言うと、これはもう、 若いうちからそうしていなければならないという事だ。 若いうちからバイキンを身体に入れ、運動をし、きちんと食事を摂り、 誠実を旨として、健康に明るく謙虚に育つ事だ。 そう考えると、学校の運動部に所属するというのは本当に有意義な事だと解る。 カネの事しか考えない人間にならない様に、子供には健康な年寄りの助力が必要だ。 結局47兆円もかかっている原因の多くは カネの事しか考えない人間がやっているからなのだろうと思う。 カネをたくさん稼いだ人間が勝ち組だと思ってしまっている、 カネが有れば幸せになると思ってしまっている。 カネは、有れば有るほど足りなくなる事も多いものだし、 棺桶に入れて持っていかれないものなのだ。 これから年寄りになる人は、役に立つ年寄りになる為に、健康な心と身体を持ちましょう。 もう年寄りになってしまった人は、頭を使って考え、謙虚な心を持ちましょう。 若い時から誠実で健康に育てば、社会が安定し、医療費が減って、 その分もっと有意義な事に予算を使える様になるのです。 みなさん、心と身体を健康にしましょう。 さて、最近、1954年の古いイタリア映画「La Strada(道)を観ました。 自分は誰かの役に立っているのだろうか、と考える様な映画です。 登場人物の1人が言います。 「ここに落ちているこんな石ころだって、何かの役に立っているんだ」と。 人間の生きる目的は、誰かの役に立つ事なのかもしれませんね。 その為に、心と身体を鍛えておきましょう。 ![]() 50歳以上の人へ(まだ若い人も) めんどくさいが大敵 年を取るとどうなるか 年齢を重ねるということ 人間の使命 愛情をカタチにする 金にしか興味が無い人々 人間の生きる目的と手段 若いからわからない事 |
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