かわいひでとし日記
令和6年5月25日      規律      大人から言われた事
  
昔、子供だった頃、家にはおじいちゃん、おばあちゃんが居て、

色々な事を教えてもらったものだった。

「情けは人の為ならず」だの「立つ鳥跡を濁さず」だの、

或いは戦争中の話とか、昔はこうだった、とか。

子供なので、ありがたい話を聞いても

その言葉通りの意味だけしか理解はできなかった。

「情けは人の為ならず」なんて事を聞いても、実感として解る訳ではなかった。

けれど、昔聞いたそういう話を、年齢を重ね、経験を重ねて見ると

身に沁みたりするものだ。


最近は家におじいちゃんおばあちゃんはおらず、また、片親だったり、

両親とも仕事に出ていたりで、子供が大人から話をされる機会が減った様に思う。

同時に、「躾」をする、という機会も減ったのではないだろうか。

というのは、さぞワガママに育ったのだろう、

と思う様な人をたくさん見かける様になったからだ。

自分が子供だった頃はまだ「大昔」だったので、色々な事を厳しく言われたりしたものだった。

電車に乗ると、「男は座らないで立っていなさい」と言われたし、

食事の作法なども厳しかった。

「男は旨いとかまずいとか言わずに黙って出されたものを食べなさい」、とか、

「黙って早く食べ終わりなさい」、とか、

この辺はどちらかというと武家の作法だろうかと思う。

また、「人と話をする時は相手の耳より遠くに届く声を出すのは下品です」、

なんて事も言われた。

また、昔のお店は今の様にチェーン店でアルバイト店員ではなく、

店に旦那さんや女将さんが居る個人商店が多かったので、

何かを買う時、買う必要が有るもの1つだけ買うのは店の人に失礼だから、

これも一緒にいただきましょう、と言って、要らんものも一緒に買うものだ、

なんて事も教えられました。

まあ、今必要無くてもそのうち使うものは有るので一緒に買うのですね。

そんな家だったので後年破産したのだろうとも思うけれど、

これは一定程度正しい事だと今でも思っている。

そういう自分も貧乏人歴が長い。


「自分の事は自分でやりなさい」、だの、「人のせいにするな」、だの、

「卑怯な事をするな」、だの、「お天道様が見ている」、だの、

「言い訳を言うな理由を言え」だの、「礼儀をわきまえなさい」だの、

色々な事を言われたものだった。


学校に行っても今の先生と昔の先生では随分違う様に感じる。

昔の先生は怖くて、良く叱られたものだったし、ビンタを食らう事も良く有った。

体罰の可否が話題になる事が有るけれど、ある程度は必要な事なのだと思う。

そもそも、今は大人が「叱り方」や「叩き方」を解っていない様に思う。

体罰というのは暴力ではない。

怪我をさせない様に、痛みだけ与える様にして叩くのが体罰だ。

暴力とは全然違うのだ。

叱り方や叩き方を知らない大人が増えてしまった様に思う。

小学生の時によくビンタをした怖い先生は、必ず二本指でビンタをしていた。

子供相手の叩き方、怪我をさせない叩き方というのを心得ていたのだ。

悪い事をしたらきつく叱られる、というのは子供にとって必要な事だろうと思う。


自分は若い子と交流する機会が結構多いのだけれど、

ああ、この子はとても良い子だなあ、と感心した時に、

「おじいちゃんっ子だった?」と聞いてみるのだが、

いい子だと思った子はだいたい「おじいちゃん子」 「おばあちゃん子」だったりする。

そういうのって、有るんですよ。

なんだか人間の出来が違うんです。

論理的、科学的には上手く説明出来ないけれど、やっぱり子供の時、

ちゃんと大人と関わって、叱られたり教えられたりして育った子は、

ちょっと違うのだと思うのです。


離婚する人は結構多いのだけれど、ただでさえ大人との関りが少ない今、

片親になったらさらに少なくなってしまうのではないだろうか。


その点、自分の親の事を考えて見ると、偉い親だったなあと思う。

というのは自分の父親も離婚したのだった。

そして、片親では良くないからと言って、

小学生の自分を全寮制の学校に入れたのだった。

一番かわいい時期に子供を手放して学校に預ける、というのは立派だと思う。

全寮制の学校に入った自分は、物凄く恐い先生や、凄く優しい先生に囲まれて、

朝から晩までずっと先生たちと生活をしたのだった。

子供に寮生活させるのは、とても良いのではないかと思う。

寮では6年生がリーダーになって下級生の面倒を見たり指導したりしていた。

これは本当に良い勉強だと思う。


さて、自分が子供の頃、良く親に

「出したら出しっぱなし」「開けたら開けっ放し」

とか言って叱られたものでした。

なので大人になってからずっと一人暮らしをしていても、

割と部屋の中は片付いているほうで、

出したものはしまって、開けたものは閉めて、掃除をしたりもしている。

これも子供の頃良く言われた事だけれど、

「部屋が散らかっているのは心が散らかっているからだ」。

これは結構本当で、部屋を片付け様と思う気持ちを持っている事や、

部屋が片付いていると心も整理される、というのは大いに有ると思う。


最近、例えばスーパーに行くと、

サッカー台の上に放置された買い物かごを見る事が有ります。

昭和の時代には見た事が無い光景です。

自分で使ったものは自分で片づけないといけません。

ジムに行っても思います。

ボディーソープだのシャンプーだのを使ったらそのまま放置、

冷水シャワーを浴びたじいさん達は水温を冷たくしたまま放置。

自分がもし冷水を浴びたとしたら、終わったら温度を戻しておくだろうと思うのです。

次使う人が「ひぇー! 冷たい!」となってしまうだろうと思うから、

温度を元に戻しておかないのはちょっと無神経だと思いますね。


また、昔のおじさんに多いのですが、なんでもかんでも女房にやってもらって、

自分では何にも出来ない人って、結構居ます。

なんでもかんでも人にやってもらって生きていてはいけませんね。

自分の事は自分でやりましょう。


ニュースなどを見ていて、

犯罪を犯した人の父親や母親がインタビューを受けるのを見る事が有る。

まさか自分の子供が、、、、という感じなのですね。

一番かわいい時期に、厳しく躾けたり叱ったりするのは辛いけれど、

やっぱりその子の人生の為になるのだと思って

きちんと親の仕事をしたほうが良いのではないでしょうか。

子供が犯罪者になってから後悔してももう遅いです。

子供はペットではないのだし、

大人になって年を取ってジジババにもなっていく別人格の他人なのです。

時にはきつく叱ったりするのは必要な事だし、

規律を守る事を覚えてから大人にならないといけないと思います。

「克己心を持ちなさい」なんて事も良く言われました。

なんでもかんでも自由に出来ると思って育ってはいけないのだと思います。


日本の学校では勉強以外にも、体育とか音楽とか美術とか、

家庭科とか道徳を習ったりしますし、教室は自分達で掃除をします。

これは本当に大事な事で、荒ぶる外国人と比べて日本人は、

やっぱり人間の出来が違うのだと思う事が良く有ります。

大事にしていきたいです。





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