かわいひでとし日記
令和6年5月23日.     指先で考える      自分の日記について

自分は小学生の時からずっと、本を読んだり、文章を書くのが好きだった。

大人になったら詩人になりたいとか、わけわかんない事を言っていた。

詩を読むのも好きだったので、あの頃読んだ詩のいくつかは、今でも覚えている。

小学生の頃の自分は思い切りロマンチストで、遠くを見る目つきをしていた様だ。

その姿を見て「シリヤ砂漠の少年」を連想する、と先生に言われた事が有った。

井上靖の詩だ。

その少年はカモシカの様に機敏に動き回って活動的なのだが、

どこか寂しい目つきをしている、という様な内容の詩だった。


小学生の時に友達と一緒に手作りの雑誌をクラス内で発行して、

みんなに回し読みさせたりなんかしていたりもした。

小学生の時から高校生になっても予備校生になっても、

手作りで新聞を作っては友達に強制的に送りつけたりしていたのだった。

今でもこうやってネット上に文章を上げていたり、

サークルの仲間にメルマガを送ったりしている。

そんな感じで自分はずっと、「ド文系」なのだった。

20歳になり、30歳になり、40歳になってもずっと文章を書いていた。

なので、書きやすいお気に入りの万年筆は欠かせなかった。

父親に買ってもらったイギリス製のパーカーのペンが書きやすかったし、

その後は日本製のセーラー万年筆が大のお気に入りだった。

けれど今から30年くらい前からパソコンを使う様になり、万年筆を使わなくなってしまった。

文章を書く時というのは、なんというか不思議な感覚なのだけれど、

「ペン先で考える」という感覚が有った。

なのでパソコンに切り替わってキーボードを打つ様になってから

暫くの間(1年くらいかな)文章がうまく書けなくなってしまったのだった。

それでもやっとキーボードに慣れて、今ではペン先ではなく、

指先で考える様な感覚で文章を書いている。

今後また新しい入力方法が一般的になったとしたら、

例えば音声入力とか、その他の方法とか、

また慣れるまで時間を要してしまうのだろうと思う。

というか今でもスマホで文章を打つ気には全然なれない。

どうしてもキーボードでないと文章が書ける気がしない。


ネット上に日記を晒しているのだけれど、読んでくれる人から、

良く毎日書けますね、と言われる事が有る。

いえいえ、そんな力作を書いている訳ではなくて、

さーっと5分か10分くらいで書いてしまうのです。

だいたい頭で考えてから、書き始めると本当に5分か10分で書いてしまって、

その後一回読み直して、おかしい所を直して、誤字脱字を直して出来上がりです。


パソコンの日本語入力ソフトは無料で手に入るマイクロソフトのIMEを

使っているのだけれど、これが結構ボロい。

何万円か出してATOKなどの日本製の物を買えば結構優秀なのだろうが、

まあ、いっか、という感じだ。


さて、今注目されている「生成AI」ですが、ネットでちょっと試しに使ってみた事が有ります。

テキトウなお題を入れるとするすると文章が作成されます。

そしてこの文章、とてもきちんとした日本語で、全然違和感を覚えませんでした。

すげーなぁ、と思いました。

ただまあ、もっと難しいお題を出せばまだまだ色々と不具合は有るのでしょう。

このまま進歩すれば、生成AIが、今まで人間の創造に頼ってきたものまで

作る様になるのかもしれません。

小説家なんていらなくなってしまうのかもしれない。

結局は人間じゃないと無理な領域が有る、とかも思いますが、

このまま進歩すれば、人間の頭くらい軽く超えてしまうかもしれませんね。


自分がいつも書くこの日記などの文章は、論文ではなく、

いわゆる「随筆」で、読んで字のごとく筆に任せて書く訳で、

次々と連想に従ってあっち行ったりこっち行ったりしながら、

それでも全体として一つのテーマになる様に、なんて事を思って書いています。

まあ、一言で言うと、「テキトウに書いている」という事ですね。

この、連想、という部分がどれだけコンピュータに出来るのだろうか、

今後注目してみたいと思います。


今でも時々、万年筆で文字を書いてみたい衝動に駆られる事が有るけれど、

もう万年筆は持っていない。





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