かわいひでとし日記
令和6年1月14日      異文化共生      宗教というものの概念
  
自分の様な無学な者が宗教の話をするのもなんだが、

素朴な気持ちとして。

そもそも「宗教」とか「神」と言う言葉の意味からして、

日本と外国では違うのではないだろうか。

決定的なのは一神教か多神教か、の違いではなかろうか。

日本では、あらゆるものに神が宿っていて、自然に感謝する気持ちに近い。

けれど一神教だとそうはいかず、絶対的な存在になる。

その結果、「これしか認めない」という方向性になる。

日本では仏教のお坊さんでもクリスマスを、

「キリストはんのお誕生日や」とお祝いしたりするおおらかさが有る。

なので、昔から「政教分離」というのは日本では

外国ほど神経質にならなくても良いのではないかと思っていた。

外国の宗教では異教徒を敵対視する事が有る。

そして、激しい場合は異教徒は殲滅する対象だったりする。

世界中に自分達の宗教を広め、異教徒を駆逐する、という風潮が有る。

これは個人によってかなりばらつきが有る様だ。

イスラム教徒の人でも、他の宗教や異文化に寛大な人も居るのだ。


「政教分離」と言いながら、例えばアメリカ大統領の就任式では、

聖書に手を置いて宣誓したりする。

これを問題視される事は無い様だ。

これは想像するに、当たり前すぎて何も違和感を感じないから、なのではないだろうか。

では日本の総理大臣が伊勢神宮に参拝するのも同じだし、

閣僚や自衛官が靖国神社に参拝しても何も問題無いと思う。

靖国神社を問題視する側の言い分は「A級戦犯」が合祀されている点の様だ。

そもそも「A級戦犯」とは「東京裁判」というインチキ裁判で決められたもの。

さらに日本が再独立した後、戦犯とされた人達の名誉を回復する国会決議がなされている。

しかし、サンフランシスコ講和条約で、日本は東京裁判の結果を

尊重する事になっているので、対外的に彼らは戦犯ではない、

と言うのははばかられるのだろう。

けれど、連合国側に戦犯と言われた日本人もみんな、

国の為に良かれと思っていた人達であり、大切な同胞であり、

尊重すべき先輩達なのであって、日本人が参拝する事を後ろめたく感じてはいけないと思う。

例えば東条英機という人は、なんだか極悪人の様に思っている人が多い。

でも、良く調べて見れば「極悪な軍国主義者」ではない事が解る。

特定の国から問題にされるのは「A級戦犯」だけであって、

その他については一切問題が無い、と言っていい。

自分の先祖や自分の先輩達が国の為に殉じてくれた事に感謝と哀悼を捧げる事は、

決して後ろめたい事でもなんでもなく、当然の事だ。

日本国内では「A級戦犯」なるものは既に存在しない。

けれども、対外的にはサンフランシスコ講和条約の手前多少の遠慮が必要かもしれない。

けれどこれも、国連の敵国条項の削除と併せて、東京裁判が誤りであった事、

誤りであった裁判によって決められた「戦犯」の名誉回復は、

これからの日本人が世界で勝ち取るべき課題だ。


靖国神社を焼却しようとしたマッカーサーが、
ローマカトリックのビッテル神父に意見を聞いたところ、

「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為は理解しないに違いない」
と述べたと言います。


さて、話は変わってイスラム教について。

日本人には馴染みが薄いものだ。

イスラム教やイスラム教徒とはどんなものなのか、知っておく必要が有る。

ただしこれは個人差が大きい。

かなり厳格な人と大らかな人が居るのだ。

一番激しい人達は今でも、異教徒は殲滅する対象だと思っている。

なので、「アッラーは偉大なり」と言いながら日本の神社を破壊する人間も居る。

イスラム文化の学者である飯山陽さんによると、

基本的にイスラム教では異教徒は猿や豚と同じと考えられていると言う。

同時に女性もイスラム教では劣った者、家畜と同等の者、という考えなのだと言う。

イスラエルの戦争でハマスがやった事は、これで説明がつく。

異教徒の女性をレイプし、殺害し、それをさらに笑いながら凌辱し、

遺体を見せびらかしてパレードする、という恐ろしい事をするのは、

異教徒の女性は家畜以下と考えているから、と説明がつく。

この点を考えただけで、異文化共生など無理、と言えるのではないだろうか。

ただし、前にも書いた様に、個人差が有って、

日本に長く住んでいるイスラム教徒の中には、日本の神様や文化を尊重する人も居る。

ただ、異文化を敵視したり女性を蔑視したりする人も厳然といるのだ。

だから、異文化と交流する時には無防備に迎え入れてはいけないという事だ。

一度イスラム教徒になるともう改宗は出来ない、させてもらえないのだと言う。

異文化を尊重してくれる人でないと共生は無理なのだろうと強く思う。

これはイスラム教だけの話ではなく、例えばユダヤ教などでも似た傾向が有る。

キリスト教でも原理主義的な人達であれば注意が必要だ。


最近、Xでイーロンマスクさんがこんな事を言っていた。

「私は日本が消滅することを望まない」

「移民に頼ることはできない。その国の文化を持たなければ国ではなくなる」

全くその通りで、無防備に受け入れて文化を破壊してしまってはいけない。

一定の注意が必要だろうと思う。


自分は毎年靖国神社に参拝をしている。

そして、日本が天照大神に守られている事を感謝している。

初詣には必ず行って、お伊勢さまのお札を貰って来る。

クリスマスツリーは飾らないが、お正月の松飾は必ずする。

神道のリーダーである天皇陛下を尊敬している。

けれど、神道以外の宗教を敵対視した事など一度も無い。

共生と言うのであれば、お互いの文化を尊重する所から始めなくてはいけない。


そして、戦後の間違った教育によって、今でも、

戦前の日本は軍国主義で悪い国だった、とか、

靖国神社にお参りするのはネトウヨの軍国主義者だ、とか、

日米安保や自衛隊を強くするのは戦争をしたいからだ、とか、

愛国心を持つと軍国主義者だ、とか

バカみたいな考えを植え付けられたままになっている人は、

そろそろ洗脳から目覚めるべきだ。

こういう教育をされてしまったのは元はと言えばGHQのせいだ。

愛国者がパージされ、共産主義者たちがのさばってしまった結果だ。

日教組もだいぶ弱くなったし、朝日新聞も風前の灯火になっている。

当たり前の事を当たり前と思う世の中にしなくてはいけない。





国を誇りに思う必要性      カネより誇りを持ちたい

まともな国に      当たり前の事を当たり前に

アマテラスオオミカミ



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