かわいひでとし日記
令和5年8月16日      「あの日」      本から得た「記憶」
  
靖国神社にお参りするのは8月15日だと思っている人が結構居る。

別にいつお参りしようが構わないのだけれど、いつかと言えば、

本当は春と秋の例大祭なのだ。

けれど、「あの日」である8月15日には、多くの人がお参りする。

自分も戦争に関するたくさんの本を読んだ身として、あの日を迎えると心が動き、

靖国にお参りしようと思う。

けれど、基本はいつでも構わないと思っているし、

もし行けないのなら遠くから手を合わせるだけでも良いと思っている。

そんな訳で、あまり混雑していない日、ということで今日、

仕事が午前中に終わるので、帰りにお参りして来た。

あまり混んでいないほうが心静かにお参りが出来る。


飯田橋駅から歩いて靖国へ。

途中、警察が厳重警戒していた。


靖国神社の横の靖国通りを隔てた向かい側は、千鳥ヶ淵。

あの日、安倍さんの国葬の日、献花の為に何時間も並んだ所だ。

こうしてじっと並ぶ事が安倍さんへの供養になる様な気がして、

花を持って何時間も列に並びながら色々な事を考えた。

あの9月27日も、自分にとっては忘れられない「あの日」として記憶に残っている。

列に並びながら強く思った言葉は「サイレントマジョリティ」だった。

「国葬反対」と叫ぶのはごく少数の活動家だけで、声だけはでかい人達だった。

10万人もの人が花を持ってじっと何時間も列に並んだあの日の事は忘れられない。

声のデカい活動家やマスコミの報道は間違っている、と確信した日でも有った。


夏になるとあの戦争の事を思うのは自然な事だと思う。

カンカン照りの暑い日、ふと空を見上げると、

「あ、あれはB29じゃ、、」「空襲警報も鳴っていないのになんじゃろ」

と思ったその時、ピカっと光ったあの夏の日、日本人なら思い出して欲しいと思う。

死にたくはないけれど、もうどうしようもない、

自分の国を守ろうと思って飛び立っていった人達が

「靖国で会おう」と言ったのだから、どうしてもお参りしないわけにはいかない。


朝、会社に行くと、

「今日、お昼から大事な放送が有るから全員ラジオの前に集まる様に」

と言われ、そうか、戦争に負けたんだな、、と思ったあの日。

玉音放送は難しい言葉がたくさん有って、何を言っているのか解らなかったけれど、

自然と涙がこぼれたあの暑い日。

どうしても忘れられない「あの日」をどうか、大切にして欲しいと思う。


自分はもちろん戦後生まれで戦争の経験は無い。

けれど、たくさんの本を読んでみて、自然とあの日の事が自分の「記憶」になった。

そしてさらに、戦争を考える時、センチメンタルな気持ちだけで考えるのも良くない。

戦争を防ぐのは軍事力だという現実もしっかり踏まえたいものだ。


今でもまだこういう人が居る。
自分で言って自分で破綻している。
「戦争にならないように話し合う」のは、わざわざ言わなくても良いくらい当たり前の事。
それでも攻めて来るヤクザが居るのだ。
その時どうするか、という話だ。
チベットが、東トルキスタンが、フィリピンが、ウクライナがどうなっているのか。
攻められない様に軍備を持つのだ。戦争がしたくて軍備を持つのではない。
攻められたら戦って防ぐのだ。戦わなければどんな目に遭うのか、ウイグルを見れば解る。
相手はヤクザなのだ。






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