かわいひでとし日記
令和5年7月30日      硬直した不寛容社会      役人化と硬直化
  
20年以上昔の、アナログ8ミリビデオカメラで撮った動画を見ると、

今とは随分違うことに気がつく。

人間自体が全然違う。

良く、「バブルの頃は根拠のない自信、明るさが有った」などと言うが、

本当に明るくてピチピチしているのだ。

それだけでなく、おおらかなのだ。


例えば今、スポーツクラブで個人の練習をしたいので

空いている時間にスタジオを貸して欲しい、と言ったら答えはノーだろう。

万一事故などが起こった場合どうのこうの、という理由でノーだ。

それが20年前は「貸してください」「はい、どーぞ」だった。

この例で考えてみると、もし事故(怪我など)が起こった場合、

貸したスポーツクラブの責任が問われるから、というが、

怪我をした本人がこれは自分の責任ですから、と言えばそれで済む話。

屁理屈をこねて相手を悪く言ったり訴訟などしなければ責任問題も賠償問題も起こらない。

怪我などはしなくても、汚損破損、などの管理上の問題が起こるから、

ということも考えられる。

何かを破損した場合、「すいません、壊してしまいました」と言って、

「これくらいだったら、別にいいですよ」なのか

「これは弁償してもらわなくてはなりません」なのか、

どちらにしろ、使って壊した本人が責任を感じれば済む話だ。

要するに、責任を取らされたくないからダメと言う、

なんか有ると困るからダメと言う、

別に良いけど、万一という事が有るからダメと言う、

なんというか、国民の役人化みたいな事がおもしろくない。

そして自分が不幸なのは他人のせいだ、これを理由に金をとってやろう、

という曲がった人間性。


安全などについて対策するのは必要だけれど、

そこではなく、自分達が責任を負いたくないから「ダメ」だの「禁止」だのと

言っているところが不満なのだ。

安全やら危機管理やらは大事だけれど、それを抑えた上で

もう少しワイルドにならないとどーしょもない、と思うのだ。


昔のVHSビデオを見ていると、どうしてこの人と一緒にやっているんだっけ、

と思う事が有る。

なんでこの人と知り合いなんだっけ、と思う。

すぐ仲良くなってしまうノリだったのだなあとつくづく思う。

昔はみんなもっと大らかだった。

しかし、今と比べて安全ではなかっただろう。

けれど、安全ではないからこそ、人間の能力が今より高かった。

技量で事故を防いだ。

人間性でトラブルを避ける事が出来た。

素直に謝って、謝られたら許すおおらかさが有った。

「不寛容社会」などと言われる現在の世の中はちょっとおかしい。



コロナが蔓延するのを防ぎたくて飲食店を休業させた、というのも、

本当はおかしな話で、実際のデータでは飲食店での感染は非常に少ない。

けれども、店をやっていると人が出歩くから、と大きな網をかけてしまう。

海洋汚染を防ぐ為だと言ってレジ袋を有料化してしまう。

振り込め詐欺を防止する為にATMで携帯電話の使用を禁止してしまう。

やる事がみんな、大きく網をかけてしまう役人の様な事ばかりだ。

大きく網をかけるのではなく、細かく対応するには人間の技量が必要だ。

人間同士が気楽に声を掛け合う事が出来れば、色々なトラブルを防ぐ事が出来る。

今では「個人情報」などと言って名前すら名乗らない。

30年、50年前と比べて、人間の技量が大きく劣ってしまっている。

それは生身の人間同士で交わらなくなってしまったからだし、

不寛容で硬直した社会が人間を暗くしてしまっているからだろう。



人間は失敗する事で成長する。

イヤな思いをする事で成長する。

バイキンを身体に入れるから丈夫になる。

発がん物質を身体に入れるから抵抗力が高くなる。

紫外線に当たるから抵抗力が強くなる。

ガマンするから素直で強くなる。


人間を過保護にし過ぎるのは大きな損失だ。

運動会では順位をつけたら良い。

学校では成績の順位を発表したら良い。

やりたくなくてもやらなくてはならない事は叱ってやらせれば良い。

本当に過保護は間違った事だ。

褒めて育てる、などと言っていないで、叱る時はきつく叱りましょう。

全部人間を成長させて、社会を成長させるのだ。



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